SSブログ

『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』 [本]

 訳者の工藤妙子さんがあとがきで「そんな博覧強記の二人さえ、蔵書のすべてを読んでいるわけではないし、読まなければならないとも思っていない。・・・書物というものを、過大評価も過小評価もせず、ただ素直に愛おしみ、気負わずに気楽に人生に取り入れる方法と、それによってもたらされる豊かさを、本書は手加減なく教えてくれる」と記している。あふれ出んばかりに話が・・・さすがにU・エーコと唸らせてくれる。またJ・C・カリエールの語りも知の豊かさがほとばしるようです。

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

  • 作者: ウンベルト・エーコ
  • 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
  • 発売日: 2010/12/17
  • メディア: 単行本

 この本の中で、これまで、つねづね思っていた疑問の解に近づく話がありました。
インドでは、歴史が輪廻のようにまわり、起こっていることは初めてではないから、書くに値しない、とされている。それは、古来の円環の時間観や、支配層バラモンによるカースト制度の固定化か、あるいはイギリスの植民地支配の文明化の使命と正当性の愚民政策的な作り話なのか、という疑問です。

 『知はいかにして「再発明」されたか』でも、「シャストラと呼ばれる、最古の専門化された学問分野の論文集を会得した専門家を賢者(パンデット)という。・・・(書物にされることもあったが朽ちやすい椰子の葉に書かれるのが常だったため)その伝承や享受や議論は口頭で行われてきた。新参者は、豊富なアフォリズムや記憶を助けるさまざまな方法や朗読の訓練やサンスクリット語の驚くべき体系的韻律の規則や文法規則の助けを借りて、これらの文書を完全に暗記しなければならなかった」。その「・・・パンデットの地位は崩壊することとなった。・・・福音派の宣教師たちが1800年にインド初の印刷所を作り、メディア革命を引き起こしたのである」といってました。
 この本で、カリエールが「インド世界では、言葉を神に関連付ける発想がない。なぜかというと、ただたんに、神々自身が創造された存在だからです。はじめに広大な混沌が震え、そのなかを音楽や音の起伏が通り抜けてゆきます。これらの音は、何万年もかかって、やっと母音になってゆきます。母音はゆっくりと組み合わさって、子音の力を借りながら、単語へと変貌し、こんどはそれらの言葉同士が組み合わさって、ヴェーダ(バラモン教の聖典)を構成するんです。・・・それを解き明かすための注釈がどうしても必要になってきます。そこでウパニシャッド(哲学的な奥義書)が作られ、・・・ようやく作者というものが出てきます。」
 エーコは「世界で最初に言語学や文法が生まれたのがインドだったのは偶然ではありません」と述べている。
 この詩的な世界観が、何かいとおしいものに感じます。
本を通じて何かを学ぶ準備をしてくれたのが、母であったり、ヘレン・ケラーのサリバン先生だったりすることを、忘れてしまってはいけない。書物以前的な音と言語化が、《書物の作者》を作っている、ことを。

 これも、この本の中では、たったひとつのエピソードに過ぎない。素晴らしい。また、何かに触れてこの本を参照したい。
 最後に、この本の小口の青さとブックカバーのリバーシブルになっているとこも、本の魅力を広げてくれています。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。