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ケルト的自由とフィレンツェ的自由(前編) [本]

 少し不思議な取り合わせですが、これも気になることです。
ケルト的自由》から、話を進めましょう。

ブレイブハート [DVD]   メル・ギブソン主演の『ブレイブハート』という1995年の映画をご存知でしょうか。
イングランド王エドワード一世の支配下、13世紀のスコットランドで、ウィリアム・ウォレスが祖国の解放を願い、スコットランド民衆を率いて自由を勝ち取るために立ち上がる。最後は、王の慈悲にすがることなく、生きたまま腸を巻き取る拷問死の苦痛の中、「自由(フリーダム)!」の叫びがいつまでも残る映画でした。

 こうした《ケルト的自由》という考えに触れたのは、勁草書房から1986年に刊行された本です。
「・・・「自由」という語の原型は、最初は十三世紀のケルト人たちによって使われたもので、家族の絆によって家長や主人と関係をもつ家族の成員と奴隷とは区別して名指すために用いられていた。その最初の意味は、経済的なものであった。そして自由は専制支配からの解放はもとより、奴隷の境遇あるいは農奴の境遇の免除として、消極的に定義されるようになった。十四世紀まで、この言葉は市民的自由や個人の権利には適用されなかった。自由な労働としての「自由」の最初の意味は、いかにこの概念が小規模な資本制生産の開始と固く結びついているかを示している。」(マイケル・ライアン著『デリダとマルクス』1982)
という説明からでした。この13世紀のケルト人は、はたして奴隷所有していたかの問題はあるが、この13世紀の・・・という時代に、フィレンツェを思い描かれた方は、かなり本を読まれている方でしょうね。
ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険 (中公新書)ケルトの水脈 (興亡の世界史)   さて、ロマンティックなケルト魂や気質に関連付けようとする神秘主義的解釈、現世と来世を行き来する精神、などに自由を見るむきもある。だから、死を恐れぬ英雄譚が生まれる背景も、ここにはあるでしよう。田中仁彦著『ケルト神話と中世騎士物語 -「他界」への旅と冒険』や、またヨーロッパの原型に迫る、本格的な古代 ケルトとピタゴラス派の関係まで求める、原聖著『ケルトの水脈』もあります。この方向の《ケルト的自由》の理解は、伝説化もされますが、哲学もされるようです。

宇波彰著『記号論の思想』で取り上げていた、ジャン・マルカール『ブルターニュの秘密の歴史』の記述でもケルト人の心性が取り上げられています。

「・・・ケルト人の心性は地中海人の心性とけっして同じではなかった。ケルト人はマニケイズム(二元論的思考)も、排中律というアリストテレス的論理も排除した。ケルト人にとって、人間と物とは、多面性のなかにその統一を見出すような全体性である。」

 こうした人が観念し考えられる思弁的な自由論より、歴史的な自由が、より精彩を放つのではないでしょうか。
物語アイルランドの歴史―欧州連合に賭ける“妖精の国” (中公新書)

物語アイルランドの歴史―欧州連合に賭ける“妖精の国” (中公新書)

  • 作者: 波多野 裕造
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1994/11
  • メディア: 新書
 アイルランド大使を務めたこともある波多野裕造著『物語 アイルランドの歴史』はコンパクトであるが、参考になりました。
 古代アイルランドの後期、7世紀から9世紀にかけてアイルランドの階層化が進んだ。「平民も自由人であり、自分の土地を持っており、法的には十分な権利を認められた独立の農民であった。その下に・・・小作農・・・農奴がいた。」しかし、こうした従来の主従関係による使役以外に、9世紀から11世紀にかけてヴァイキングの侵寇によって、奴隷が持ち込まれ、奴隷労働が広く一般に普及した、という。
 中世アイルランドになって、ノルマン・コンクェストといわれるアイルランドの植民地化により、13、4世紀になると、
「もともとそこに住んでいた土着のアイルランド小作人は、その土地に付随した「農奴」として扱われ、自由は認められていなかった。ノルマン人の支配が確立される以前は、アイルランド人は貧しいながらも自分の土地を持った自作農であったのに、その所有地を失って農奴の境涯に転落した者も多かった。」

 のちアイルランド文芸復興運動により、ケルト族の伝説的英雄クーハランが、名誉を重んじ、死を恐れぬ偉大な人物として、民族の誇りとして復活させます。アイルランドの現在の苦境を救えるのは、クーハランのように高貴な魂を持ち、祖国のために死ねる人間だけである、と。ジェームス・コノリーは1913年のダブリン労使対決に、イギリスの労働組合に共闘ゼネストを訴えたが、思わしい反応を得られず、次第にアイルランド人だけの独立闘争へと傾いていきます。『ジェニーの肖像』(昨年11/3の記事)でもふれましたが、イースター蜂起でコノリーは、自分で立てないほどの負傷だったが、イスに座らされて銃殺されます。(映画『マイケル・コリンズ』をご覧あれ)
 こうした歴史的自由からみるとき、イギリスの労働者や、アイルランドのナショナリストは、どう「自由」だった、と言えるのでしょうか? そして《ケルト的自由》は、何が復元されることなのでしょう?
 もう少し、《ケルト的自由》を彫りこめればいいのですが、今は、ここまでにとどめておきましょう。


年末年始に風邪を引いてしまい、いまだ抜けません。皆様もご注意くださいませ。


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1001Estrellas2

2011年3月12日(土)午後当地名古屋で開催のコンサートを企画した者です。出演者(アイリッシュ・フルート、ティン・ホイッスル奏者)と会場提供者の方に青がえるさんのブログを読んで<ケルト>理解を深めておくよう、お願いしたところです。

お近くならぜひ青がえるさんにもコンサートにいらしていただきたいです!

※フリオ・イグレシアスの歌うタンゴも彼のルーツがガリシアにあると知って聞くとひときわ感慨がありますね。
by 1001Estrellas2 (2011-02-06 11:44) 

青がえる

1001Estrellas2 様。
ブログコメントありがとうございます。コンサートのお誘いを頂き、ちょっと調整可能かと思いましたが、仕事の都合でかないません。コンサートの成功を心より願っております。

by 青がえる (2011-02-08 23:10) 

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