萩原魚雷『本と怠け者』 [本]
「怠け者の読書癖」という序で、脱力感を伝えてくれるので、安心できる。
本を読みながら自問自答する。読んでわからないことは、誰かに聞いてもわからない。かならずしも、何かをわかりたくて、本を読んでいるわけでもない。
古の言葉を誤解、曲解し、自分に合わせて加工する。
そうやって怠け者の文化は継承されてきた。
天野忠が書くものについて、
年をとらないとかけない文章だし、注意深く、時代と社会を観察する目と記憶力がなければ書けない文章なのだ。それでいて、何かを責めるような厳しい声は発しない。なんとなく、のんびりしているのである。
稀覯本の世界にあるのか、ついてはいけないかな、と少し感じつつも、共感できる部分や教えられるところが多かった。
五年も探した本だから、読むのがもったいなくて、一気に読み通せなかった。
プルーストのエッセイから、
「あらゆる良い書物を読むことは、その作者であった過去の世紀の有徳の士と会話を交わすようなものである。」
本を読むのは、あくまで著者の考えに達するためであり、自分の考えを見出すためではないというのがラスキンの意見だ。・・・「著者はこうおもった」と確信できるようになることが、読書の醍醐味なのである。読者が自分の判断と考えているようなものは、単に偶然の偏見に過ぎないという。
ラスキンは「オーストラリアの坑夫」のように、岩石を打ち砕き、中の金属をとりだし、それを溶鉱炉にいれて、黄金を集めるような読書をすすめる。そこには偉大な思想家が永久に書きしるしたいとおもった真実の断片がある。
松田道雄氏が医者でアナキズムの理解者。そんな松田氏の「おだやかとまとも」というエッセイを取り上げていて、言いたいこととジレンマのある気持ちとの両立にも、理解ができる。
「汝自身を知れ」の格言を持ち出すまでもなく、人類が続くかぎり、自分は何者か、自分は何をなすべきかという悩みは消えない。
ジョージ・ミケシュ『円出づる国ニッポン』の紹介で、1920年代、30年代の日本はパテントを無視して複製品作りに清をだした。西洋の衣服、建築、印刷法。鉄道、船舶、採鉱法、刑法、陸軍海軍、税制・・・、ヨーロッパから見た日本は、いま中国の躍進にたいしていだいてる気持より複雑だろう、という。
源氏鶏太『新サラリーマン読本』のなかに、荻生徂徠が書き残したという「上役の心得」の紹介は、私も興味深く読ませてもらいました。
アンディ・ルーニー『自己改善週間』というコラム。
小林秀雄の批評にふれ、
本でも音楽でも映画でも、自分がほんとうにいいとおもえるものに出あったとき、それをもっと深く理解したいとおもって言葉にし、誰かに伝えたくなる。批評の喜びは、そういう気持ち無縁ではないとおもう。
読む人は、この本で何かを発見できるとおもいます。発する言葉に「おだやかでまとも」という松田道雄氏のテーマが、とても胸にしみいる。大変難しいことだが、その域に達したいものです。
xml_xsl様。 いらしていただき、niceありがとうございます。
by 青がえる (2011-10-27 12:30)