舘野泉『ピアニストの時間』 [本]
ピアノ奏者による音楽エッセイです。
パルムグレン『春の組曲-中期ピアノ小品集』のCD購入から、舘野氏の音楽に触れました。その後、2002年に脳溢血で倒れられ、左手のピアニストとして活躍されている方なのだ、ということをNHKの紹介番組で知りました。
シベリウスを始め、フィンランドの多くの作曲家の音楽を精力的に紹介されているようです。フィンランドで活躍した社会背景もあるのか、映画『4月の涙』でもフィンランドの音楽をもっと取り上げればよかったのに・・・と思います。それにしても、フィンランドがこんなにも民族主義的な色合いが強いのか、興味がわいてきます。
ロシア革命が勃発、1917年フィンランドは帝政ロシアの支配から脱し独立を宣言する。しかし、国内で赤軍と白軍の内戦に陥り、シベリウスの家にも軍に踏み込まれた話が紹介されています。
クーラという作曲家は、1917年の独立直後、一将校との口論の末、至近距離から拳銃で頭部を撃たれ、わずか35歳でなくなったと言います。
カスキという作曲家は、一歳にならない内に母をなくしている。
「晩年になってカスキは、生涯に長続きする友情関係をいくつも結べなかったのは、自分の性格に欠点があったのだろう」とのべたという。フィンランド「カレリアの森から出てきた貧しい青年がヘルシンキに出て・・・どこにいくにも、何か欲しいものを手に入れるのにも、まずお金を払わなければならないことに、カスキは驚いている。田舎ではバターやチーズ卵などは、お金がなくても手に入るのは当たり前だった。そんな当たり前のものにお金を使うことはさけて、カスキは爪に火をとぼすように節約をしながら勉学を続けた。」「一般学校の音楽教師として慎ましい生涯を送り、結婚もしなかった。20歳年上のシベリウスと同じ日になくなった。シベリウスは国葬、カスキの死には誰も気づかなかった。」
ウーノ・クラミという作曲家は、
「1900年の9月に東フィンランドの海辺の小さな村に生まれたが、家は貧しく、両親も姉も結核でなくなり、幼くして孤児になってしまった。音楽なんかする環境は何もなかったのに、子供の頃、ピアノを弾くために12キロ離れた学校まで、毎日のように歩いて往復したという。森を抜けて、風のざわめきや海鳴りを聞きながら、おそらく裸足でかよったのだろう。歩くことが、彼の精神を形成していったのではないだろうか。孤独な少年の魂を捉えていた音楽の魔力の激しさ、そして幼い彼の音楽への渇望を思うとき、胸が痛くなる思いがする。」
そんな作曲家たちの作品に触れてみたいと思います。
舘野氏は、演奏家について、こんな言葉を記しています。
「理想の美」などという大袈裟なものもないし、演奏というものはたとえCDに定着されたとしても、演奏家本人にとっては既に過去のものである。騎馬民族が歴史を書かないように、演奏家も歴史を書かず、決して安住が出来ずにさすらいの旅を続ける人種だと私は思う。
演奏の出来栄えや即興曲の楽しみ、一回性の音の飛散で、自由に彷徨し、留まるところを知らない。そんな境地を言いえている、演奏家ならではの深い言葉だと思います。
舘野さんのCDを聴きながらネットで検索してこちらに辿りつきました。氏のフィンランド音楽への貢献度は目覚しいものがありますね。この本も読みました&カスキ、クラミの作品なども一頃、よく聴いたものです。シベリウスとカスキは同じ日(9月20日)に亡くなりましたが、翌日のフィンランド最大手の新聞に両作曲家の記事を書いたのはクラミでした(なお9月20日はクラミの誕生日でもあります)。
by suomesta (2011-09-09 21:26)
suomesta様。
コメントありがとうございます。フィンランド音楽で、私もだいぶ癒されます。シベリウスとカスキが亡くなった日が、クラミの誕生日だったとは知りませんでした。何かの縁でつながっているのでしょうかね。今後とも、お立ち寄りください。よろしくお願いします。
by 青がえる (2011-09-10 00:31)