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川島健『ベケットのアイルランド』 [本]

 本は、ぽつぽつ読むには読んでいるが、なかなか面白いと感じられるものに出会わない。
本との相性もある(たとえば求めている方向が同じで前を歩いているか、逆に、方向は違うが気づかされることがことがあるか)。また、本はいいのかも知れないが、自分の受け取る力が不足していて感じ取れないことに問題があるかもしれない。時がたてば、その本を再度受け取れることがあるのかな?

川島健『ベケットのアイルランド』は、目を開かれるような面白い本でした。

ベケットのアイルランド

ベケットのアイルランド

  • 作者: 川島 健
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2014/02
  • メディア: 単行本

 私の理解が正しいのか判りませんが、気になった事柄を記します。

 序章で、「本書の目的はベケットのテクストを、アイルランドをめぐる様々な言説のなかに位置づけ分析することである。…ベケットの軌跡と…アイルランドの歴史を交錯させ…ベケットのアイルランドの相貌の変化を写しとり、現実のアイルランドの変化に重ねあわせることが本書の方法である。」(P14)としています。
 イェイツによる(アイルランド)民族主義批判をとりあげて、イングランドとアイルランドの「中心/周辺という二項対立はもはや崩壊し、周辺同士が連結、離反しながら新たな地政学を作り上げる時代となったのだ。」(P24)
 次にベケットのエッセイ「最近のアイルランドの詩」(1934年)を読み解き、そのなかの「無人地帯、ヘレンポントス、真空地帯」という言葉をキーとして、見て取ろうということです。ヘレンポントスは、ダーダネルス海峡(トルコ)の古名で、エーゲ海とマルマラ海の境界に位置し、紀元前三二二年のディアドコイ戦争の舞台といいます。

 「…「無人地帯」はそもそも軍事用語で「緩衝地帯」を意味し、対峙する軍隊のどちらの支配下にも属さない地域を意味する。…ベケットがここで強調するのは、…「無人地帯」は所有権の確定していない場所、誰のものでもなく、またそれゆえ、誰のものでもなりえる空間を名指すための言葉である。
 ベケットは一九三〇年代のアイルランドを「無人地帯」とみていた。実際に、イギリスからの独立へと向かうその国は決して一枚岩のように団結していたわけではない。…様々な主義主張に引っ張られ、刻まれ、歪められ開いた裂開をベケットは「無人地帯」とよんだのだ。・・・
 ベケットの描くアイルランドを読み解くために、本書は「無人地帯」を拡大解釈し、・・・ベケットが残したテクストを分析するための鍵語とする。」(P27)

 著者の問題意識を明確するため、長く引用しました。この“無人地帯”の名指しについて、私自身は未消化なところがあります。一つは、アーレントの“アゴラ”ような公共性を持つ討議広場(空間)、誰のものでもなく、誰のものともならない空間として(懐古的に?)考えるべきか、あるいは単に無秩序で混乱していて、未確定で油断もすきもなく、ボーッとしていたら誰かの物(所有)になってしまう、(ウクライナ・クリミヤ半島や日本にもあるように)現実の“囲い込み”“実効支配”を争闘する“名指すべき”地帯なのか。“境界”では、本当に、潜勢的可能態という状態が“牧歌的に”開かれたまま滞留しえるのか?様々な利害が衝突している時、その対立構造を拒める(バートルビー的)倫理の立場がその“境界内”に成立するのだろうか?“無人地帯”とは、入れ子になって空けられた有人地帯に過ぎないのではないか?・・・など、考えを呼び覚まされるほどの提案だ、と言っておきましょう。

 著者は、章ごとに魅力的なテーマを縦横に論じています。いろんなテーマがあるので深追いせずサラッと記すことにしておきます。

ダンテの『俗語詩論』(1305?)を題材に、ウンベルト・エーコやジョルジョ・アガンベンを踏まえ、

「・・・ダンテは、「俗語」を神学(完全言語)や政治(普遍言語)から解放する。」(P86)

T・S・エリオットの検討では、

 「・・・その修辞の曖昧さにこそ彼の政治的な意図が込められている」(P89)
 「詩人と言葉の関係を論じるこの文章では、…詩人と言葉の互酬的関係は共同体意識を強化する。…詩人の役割とは言葉を通して人々の感性を高めることにある。主人的態度が詩人と言語の一対一関係を前提とするのにたいして、召使的態度は、言語を通して多くの人々の感性教育に益することを目的とするため、一対多の関係を目ざす。…エリオットは「共通言語」の重要性を訴え、詩と日常言語の有機的関係を強調するのだ」(P93)
 「…エリオットの共通言語への希求は言語を資源とする考えに基づく。」(P95)

 「…ベケットはダンテを読むことにおいて、芸術と日常、テクストと現実を切り離すことが必要であることを強調する。」(P97)
 「「高貴な俗語」が文学形式であることを明記するベケットは、社会に還元されぬ余剰性こそがダンテの言語的特徴であり、そのような言葉こそ文学にふさわしいと考えた。ヴァーチャルな時空にしか存在しないのであれば、その言葉は発生の起源を歴史的に求めることはできない。それは神の言葉(完全言語)の喪失を代補するものだが、神の言葉を再現するものではない。…ダンテの俗語は「完全言語」という起源への遡及を封じたところで創り出されたものだ。言葉の起源を遡及的に探し出そうとし、その帰属を求める探求にたいする疑義をベケットはダンテから引き継いでいる。」(P101)

 「ベケットが「ダンテ・・・ブルーノ・ヴィーコ・ジョイス」の冒頭で敷衍するヴィーコの言語論がここでは重要だ。『新しい学』(一七二五)でヴィーコは、詩人は人類の感覚であり、哲学者がそれを理性的に解釈するという。その詩的言語の要点は、国家に芸術が従属するという考えを転覆し、詩と物語こそが国家の起源だという主張にある。…その言葉は公式の言葉(普遍語)ではなく、詩的な言語でなければならない。」(PP108-109)

 なるほど人類最古であろう、リグ・ヴェーダ賛歌があってウパニシャッドが生まれるのであって、逆ではない。その後の言葉の発展と精緻化や公定語の確立において、プラトンの『詩人追放論』(オウィディウスやマヤコフスキーの、あまたの詩人の亡命や死)を含め、国家は何を求めるものかを示すものでしょう。もし詩が《歴史的に》国家の起源(目的化)となるなら、(残念ながら転倒して)実現した国家は《論理的に》詩を源泉(道具化)にする、という神話化と世俗化の関係が両立すると思います。肝心なのは、古代・古典の真相というよりも、誰が実利を引き出してきたか/しまうのか?でしょう。

 これ以降も、翻訳についてや、名付けについては“スタインの言語”とか“唯名論的詩論”、廃墟論では社会構築主義と本質主義との対立についてなど、興味深く玉手箱のような話題を取り上げてくれています。刺激的でどれも面白い。体がしんどくて書き切れないので、何かの話題で、この本に立ち返ることにしたいと思います。こうしたテーマを、まさかボルヘス風に書かないでしょうし、下記のオーデンのようにも書かないとすれば、この著者川島氏の本として書かれ、読まれなくてはならないでしょう。


 さて、ヘミングウェイの『移動祝祭日』で、パリのレストランでジョイス一家はいつもイタリア語で語り合っていたことのわけや、ベケットがフランス語で書いたことについて、菅啓次郎が「語学者ベケット」で、「ベケット家はもともとフランスから逃れてきたユグノーの家系だったから、フランス語に戻ることは先祖の言葉に戻ることだった。」という一つのエピソード紹介し、<母語>と<外国語>の問題、多和田葉子の<エクソフォニー>を振り返る機会ともなっています。

 この本で感じたことは、支配文化と民衆文化としてのイギリスとアイルランドの関係理解に、ベケットがどう切り開く可能性を持ちえているか、つまり従属する現実を解決する出口を見出せるか(二項対立のダブルバインド、ポストコロニアルの論議、読者の共感や連帯のテーマも論じています)ということなのか。または文芸批評としてのベケット文学が示す地平線をアイルランド方角で照らしただけ、ということなのか、著者川島氏の視点立場がもうひとつ飲み込めなかった。これが、著者のいう“無人地帯”なのかもしれないが…。


 それから、ヘミングウェイでよく知られている《ロスト・ジェネレーション》(第一次大戦後の迷える、自堕落な世代)に対して、この本で《オーデン・ジェネレーション》(P83)というものも知りました。それは、スペイン内戦に参加していく知識人、A・マルロー、ヘミングウェイ、G・オーウェルらの動向、「詩がもはや机に向かって書くものではなく、行為とともにあり、ある種の決意表明となった時代だ。」(P83)というものです。


 機会があれば、著者の文章をまた読みたいという印象が残りました。
 最後に、本カバーのスケッチが、ジャック・B・イェイツのもので、「オコンネル橋かにみたダブリン、1916年5月12日」でイースター蜂起後の首謀者の処刑日のことで、オコンネル・ストリートのネルソン記念塔とダブリン中央郵便局を描いたもので、思い入れを感じ、グッとくる。
 著者の「あとがき」にある、

 「本の頁を照らすのは仄暗い情熱であるべきだ」(P257)

まるでゲーテの『ファウスト』に書かれているかのような言葉、詩人だなぁ、と感心しました。

 


アルベルト・マングェル『読書礼賛』(3) [本]

さて、第6章の本をめぐるビジネスでは、翻訳についての文章が収められている。しかし、もっとも興味をもったのは「ヨナと鯨」という文章です。ヨナは旧約聖書の預言者で、旧約聖書の知識がなくても、ヨナ書が簡略されて紹介されています。とりわけ政治と芸術という関係で面白く読めました。

芸術家には死後の名声だけで十分なのだ」(P326)
「プラトンにとって、そもそも真の芸術とは政治家だった。正義と美という神聖なモデルにそって国家を築く人びとである。一方で、作家や画家といったふつうの芸術家は、そのような価値のある現実について思いめぐらすことをせず、たんに幻想を紡ぎだすだけであり、それは若者の教育にそぐわなかった。芸術は国家に奉仕するときだけ有用だとするこうした考え方は、何代にもわたるさまざまな政府に支持されてきた。皇帝アウグストゥスが詩人のオウィディウスを追放したのは、この詩人の書くものに潜む危険性を察知したからである。」(P331)

 以前に、『マヤコフスキー事件』の運命について書いたこととつながる話です。
 マングェルは、フローベールの『紋切型辞典』をひいて、芸術家に対する19世紀ブルジョアの考え方として、「芸術家―すべてが道化師。無私無欲な態度が賞賛される。ふつうの人と同じような服装をしていることが意外に思われる。たくさん稼いでも、残らず使い果たす。」(P332)を引用しています。身持ちの悪さ、放蕩、蕩尽、破天荒さ、普通と(どれほど)異なっているかが、高度な?芸術性をあらわすのでしょう。「すべてが道化師」とは、さすがはフローベール。

「芸術家に対する彼らの態度をあらわす言葉は、第二次大戦中にユダヤ人移民の受け入れに対処したカナダ移民局の役人が口にした言葉「ゼロでも多すぎる」と同じだ。」(P332)

「ドードー鳥の伝説」(PP355-356)というモーリタニアの言い伝えは、短い寓話ながら面白い。

 第7章罪と罰。「読書から学べるとおり、人間の歴史は不正のはびこる長い夜の物語である。」(P348)という文から始まる「神のスパイ」(1999年)は、大変印象深いルポルタージュになっています。マングェルが学生時代に知り合った女子下級生の話。1969年にブエノスアイレスを離れ、1982年に短期滞在で戻ってみたら、学生自治委員会のメンバーだった彼女は誘拐され行方不明になっていた。今回のワールドカップでもお馴染みの、アルゼンチンの軍事独裁政権下の出来事です。
 1976~78年の時期に軍による処刑として、看守であった曹長ビクトル・アルマンド・イバニェスのインタビューを紹介しています。

「囚人たちはパナノバルという強力な薬を注射され、数秒間で息絶えた。その薬は心臓発作のような症状を起こした。それから、彼らは海に投げ込まれた。飛行機は高度を下げて飛んだ。それは隠密飛行で、記録には残されなかった。ときたま、鮫のような巨大な魚影が飛行機のあとを追ってくるのが見えた。奴らは人肉で肥えているとパイロットがいった。」(P351)

地を這うように―長倉洋海全写真1980‐95 (フォト・ミュゼ)

地を這うように―長倉洋海全写真1980‐95 (フォト・ミュゼ)

  • 作者: 長倉 洋海
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: 単行本

私は、この話を読んで、『地を這うように―長倉洋海全写真集1985-95』のエル・サルバドルでの「内戦の中米へ」に収められた、女性を殺害して野ざらしになった一葉の写真(著作権があるから写真を出すわけにはいきません)が浮かびました。何があったのか、恐ろしい情景となって迫るものがあります。
 こうした時代の評価を巡り、バルガス=リョサの問題記事、ファン・ホセ・サエールの反論、フリオ・コルタサルの見解を載せています。関連して、『疎外と叛逆―ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話』、『抵抗と亡命のスペイン語作家たち』も面白かったですよ。

疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

  • 作者: G. ガルシア・マルケス
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2014/03/31
  • メディア: 単行本

抵抗と亡命のスペイン語作家たち

抵抗と亡命のスペイン語作家たち

  • 作者: 寺尾 隆吉
  • 出版社/メーカー: 洛北出版
  • 発売日: 2013/11
  • メディア: 単行本

「記憶のおかげで、自分という存在、そして自分が見るものに意味が与えられる。」(P365)


第8章荘厳なる図書館から「理想の図書館とは」

「理想の図書館の入り口には、ラブレーの金言をもじった「汝の欲するままに読め」という言葉が掲げられている。」(P387)
「理想の図書館は、つねに更新される終わりのないアンソロジーである。」(P389)

次の「さまよえるユダヤ人の図書館」から

「国を持たない放浪者と都市居住者、遊牧民と農民、探検家と家庭を守る者…は、あらゆる時代において、この二つの憧れを体現してきた。片方は外に向かい、もう一方は内に留まろうとする。…人を駆り立てるこの二つの力は競い合うと同時に補完しあう。自分の故郷と呼ぶ場所から遠く離れることで、人は自分の真のアイデンティティを感じられる。だが同時に、自分の内面を深く見つめることから気を逸らされることも多い。…」(P397)
「やがて、日常生活と夜の物語の違いに気づくと…本のおかげで、言葉が日常生活に意味を与え、夜の物語を理解できるものにし、そして昼と夜の両方にいくらかの慰めを添えてくれているのだ、と。」(P398)

「…敵をやっつけ、みずからを守りたいという思いが強いあまり、私たちは安全であるとはどういうことかを忘れてしまう。あまりにも大きな不安のなかで、自分たちの権利と自由が歪められ、あるいは切り詰められるのを許してしまう。外にいる他者と対峙するかわりに、私たちは内に閉じこもってしまう。自分たちの図書館が世界に開かれるべきものであり、世界から孤立するふりをしてはいけないということを忘れてしまっている。私たちは自分自身の虜囚になっているのだ。」(P401)

「永遠にさまようことは罰なのか、それとも世界を知ろうとする啓蒙的な行為なのか。居心地のいい自分だけの場所は報償なのか、それとも忌むべき沈黙の墓場なのか。「他者」とは名前のない敵か、それとも自分自身の投影なのか。私たちは一個の孤立した存在なのか、それとも時間を超え、世界を意識した多くの存在の一部なのか。」(P402)

マングェルは、六十年余の遍歴生活で集めた三万冊ばかりの蔵書を持って、フランス、ロワール渓谷の南の小さな村に住むという。二〇〇八年には緊急手術に迫られ、「人生のあるとき、私たちはたくさんの本のなかから、なぜその一冊の本を伴侶として選び出すのだろう?」(P414)と、私がガン手術受けたときのように、迷ったようです。私は(七千冊余から)結局選べなかったのですが、マングェルは「結局私が頼んだのは『ドン・キホーテ』の二巻本だった。」といいます。私なりに得心のいく選択のような気がします。
 さて、「訳者あとがき」に書かれているように、ブエノスアイレスに生まれ、イスラエル駐在大使の息子としてテルアビブで幼少期を過ごし、小学生でアルゼンチンにもどり、ユダヤ人である人種アイデンティティに気づく。高校生になると、先住民の貧困を目にして社会の暗部を垣間見るが、チェ・ゲバラのように革命に身を投じることは出来なかった。そのころボルヘスをはじめとする作家たちと知り合ったという。アルゼンチンの軍事政権が権力掌握した時代、大学を一年で中退して、ヨーロッパで放浪生活を送る。

「そのままアルゼンチンにとどまったら、友人たちの多くと同じように、軍事政権に与するか、あるいは抵抗運動に身を投じるかの選択を迫られ、後者を選んだ場合は逮捕、拷問、行方不明という運命を辿っていたかもしれない。故国を捨て、家族や友人たちの苦境から距離をおかざるをえない亡命生活は苦渋の選択だったはずである。」(P427)

私にとって、マングェルの半生のメモリアルが、なんとも熱く胸に迫るものが感じられる。重みのある一冊だと思います。


アルベルト・マングェル『読書礼賛』(2) [本]

まず初めに、今回は、後半としてまとめられず<中>ということになりました。

「ロシアの作家イサーク・バーベリは書いている。「完全に結末をつけようとするあの力をまさに正確な場所に用いなければ鉄といえども心臓を刺しつらぬくことはできない」。言葉の強力さと無力さの両方を知る者にとって、この信頼に足る最後の小さな点ほど役に立ってくれるものはほかにない。」(P177)

「カン・グランデ・デッラ・スカラにあてた有名な書簡で、ダンテは読書について語っているが、…読書の分類、または段階的な読書(逐語的、寓意的、類推的、神秘的)についての議論がなされるが・・・」(P201)

「セルバンテスと同じように、私たちは自分の運命をほとんど見きわめることができない。意識に縛られた私たちは、生きることが旅に似ていると理解している。すべての旅がそうであるように、人生には始まりがあり、いつかまちいがなく終わりが来る。だが、いつ最初の一歩が始まり、その歩みがいつまで続くのか、この旅でどこに向かうのか、その理由は何か、どんな結果が待っているのか、これらの問いかけには、非情にもけっして答えが得られない。ドン・キホーテその人と同じように、私たちは自分を慰めることができる。自分の善意と高貴な苦しみがいつかきっと不可思議なめぐりあわせで自分の人生を正当化してくれるに違いない、課せられた役割を果たすことで自分はひそかにこの宇宙を支えているのだと信じることによって。」(P207)
「セイレーンが登場する『国家』の同じ巻で、プラトンはすでに世を去った古代の英雄たちに、生まれ変われるとしたらどんな一生を送りたいか語らせている。オデュッセウスの魂は、前世で野心ためにどれほど苦労したかを思い起こし、他の魂が軽視して捨て去った、ごく平凡な市民として生涯を送りたいという。…それと引き換えに欲したのは、無名人としての静かな暮らしだった。」(P219)

 人は死んで名を残す。英雄の時代は死の最後の瞬間までおだやかな時間を与えないだろうと思う。日常を捨て非日常を選び取ることは、安らぎを捨て去って、激動を突き進むことなのだろう。マングェルが『チェ・ゲバラの死』を書いたことも伏線はこれだろう。「毛(沢東)の盟友彭徳懐は北京の西郊の農村で労働と読書の日々を送っていたが、「六六年暮、江青、林彪の意を受けた紅衛兵によって北京に連れ戻され、繰り返し批闘(批判・闘争)大会で残酷な暴行を受けた末、病院に幽閉され」「監禁されたまま七四年十一月、七十六歳で死去」した。」大池文雄『水戸コミュニストの系譜』(P344)。外なる世界での少しばかりの冒険と内なる世界のっぺりとした平凡な私生活を、混合して個人の都合で生きることは出来ないという教訓かな。

「市民の反抗精神をそそのかすという理由で『ドン・キホーテ』を禁書にしたピノチェト…」(P228)

ラテンアメリカ十大小説 (岩波新書)

ラテンアメリカ十大小説 (岩波新書)

  • 作者: 木村 榮一
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/02/19
  • メディア: 新書

 『ドン・キホーテ』については、木村榮一『ラテンアメリカ十大小説』(岩波新書)でも、「(ラテンアメリカの)植民地時代は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』を所有しているだけで異端審問にかけられるほど厳しい検閲制度が敷かれていました。」(P7)とこの本の特異な性格を伝えています。今思えば、私も中学時代に読んで、あまりの面白さに、いつかもう一度読もう、と心に誓った唯一の本であったことを思い出します。

「「少なく考え、たくさん働け」というのが、二〇〇七年七月二十一日、当時ニコラ・サルコジ政権の財務担当相だったクリスティーヌ・ラガルドが発したメッセージ」(P241)

「パラドックスや未解決の難問、矛盾や混沌とした秩序について深く考えることの困難に直面した私たちは、ローマ元老院の大カトーの叫び、「カルタゴは滅ぼされるべきである!」を思い起こさずにはいられない。すなわち、他の文明は受け入れがたく、話し合いなど拒否して当然、追放と滅亡によって法律を順守させるべきである、というのだ。」(P242)

 同じ逸話はまだあって、紀元前三世紀、ギリシア時代のシチリアで、攻め込んだローマの将軍はアルキメデスを殺さず生け捕りにしたかったが、一人のローマ兵が七十五歳になっていたアルキメデスを連行しようとしたとき、「そこに立って私の図形を乱さないでくれ」といい、それに激昂してアルキメデスを剣で殺害した。そうしてローマは三千年のギリシア文明(様々な発明、アンティキテラなどもありました)を引き継がず、途絶えてしまう。再び、アラビアからギリシャ文明を再発見する十二世紀のルネサンスの目覚めまで、一五〇〇年近く惰眠してしまう。
 マングェルは、ナチによるホロコーストに先立って、トルコ政府によって「…最も古い歴史のあったアナトリア地方の全住民、子供を含めた男女およそ百五十万人以上が一九〇九年から一九一八年のあいだに皆殺しにされた。」(P158)と、第3章覚書で記していました。

「人が最初に抱く強い感情は、自分の周囲にあるものを解読したいという欲求だ。あたかも森羅万象に意味があるかのように。意味を伝えるための記号体系―アルファベット、象形文字、絵文字、社交のための身振り―だけでなく、人は身のまわりにあるもの、人びとの顔、鏡に映った自分の姿、目に入る風景、雲や木々の形、天候の変化、鳥の飛翔、昆虫の足跡にさえ意味を見出そうとする。世界でもとくに古い書記法である楔形文字は、五千年前にユーフラテス川の泥についた雀の足跡を模してつくられたという伝説がある。私たちの祖先は、それを偶然についた痕跡とは思わず、神意を伝える謎めいた文字だと考えたのだ。」(P244)

人は意味に飢えている。

「…ヴォルテールはパスカルに異論を唱え、さらにこうつづけた。「心を慰めるためには、蜘蛛と土星の環のあいだにどんな関係があるのかなど知らないほうがよい。自分の手の届く範囲のことだけを追求すべきである。」」(P247)

 私も、抽象的な問題をどう考えても、結局は自分の手の届く範囲のことしか、触れることも感じることも、また何か影響や変化を及ぼすこともない、自分の力の限界を冷徹に考えたことがありました。

「野生のままの自然とは、いわば閉ざされたままの本である。ページを開いて読みはじめなければ、中身は存在しない。」(PP251-252)

「…オルダス・ハクスリーは『知覚の扉』に書いている。「だが、いかなる状況にあっても、常に孤独である。殉教者は手に手をとって刑場に歩み入るが、十字架にかけられるときは一人である。抱き合う恋人たちはそれぞれの恍惚を溶けあわせ、自己を超越したひとつの存在に昇華しようとするが、それはむなしい試みだ。そもそも、人間の形をとった魂はすべて、苦しみも喜びも孤独のうちに味わうものである。」」(P258)

 これは個人の知覚について書かれているなら、オクタビオ・パスが『弓と竪琴』真理の感得について語ったことに等しい。

「アレクサンドリアの図書館の目録作成に苦労した担当者がいうように、二つの写本は決して同じものにはならず、「決定版」を選ばなければならなかった。」(P290)

本は、複製という同義反復のままに止まって制限され続ければいいが、「読者はそれぞれ、自分の本に書き込みをし、しみをつけ、さまざまな痕跡を残して、自分だけの一冊を作り出す。そうなると、一度でも読まれた本は、もはやけっして他と同じにものにならない。」(P290)一つの物語から、「さまざまに形を変えた物語が派生した。」(P394)オリジナルの本とは、引用とは無縁なのか。「一冊の本は過去のすべての本の血筋を受けついでいるからだ。」(P396)

「すべての読者が知っているとおり、本を読むという行為の要点、すなわちその本質はいまも、そしていつまでも、予測可能な結末がないこと、結論がないということだ。読書のたびに、それは別の読書へとつながる。」(P294)

さらに次回で。


アルベルト・マングェル『読書礼賛』(1) [本]

読書礼讃

読書礼讃

  • 作者: アルベルト マングェル
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2014/05/23
  • メディア: 単行本

 この400ページを超える本を一つの読書メモに仕上げることは無謀な試みだと思う。特に、訳者あとがきにもあるように、


「初出一覧を見ると、執筆時期は古くて一九九八年、最新のものは二〇〇九年である。テーマは多岐にわたり、人種問題、ジェンダー、創造的な贋作について、社会的責任と文学の役割、テクノロジーと書物といった大きなテーマを扱うかと思うと、編集者、翻訳者、出版人の役割を具体的に論じたものもある。
 広範な話題にもかかわらず、この本を通して読むと、はからずも時間を追って著者の半生をたどることになる。」(P426)


訳者の野中邦子がいうとおり、読書についてのエッセーというよりは、読書をふくむ半生のメモワールという印象があります。共感できる言葉も多く、重いテーマ(例えば自身がユダヤ人であること)も多数含んでいて、さらっとながしてはいけない本だろうと思います。前著『図書館 愛書家の楽園』は読んだもののまだ取り上げていませんが、この『読書礼賛』を丁寧に記しておきたいと思います。

「人は世界に足を踏み入れたとたん、あらゆるものに物語を見出そうとする。風景、空、他人の顔、そしていうまでもなくわれわれ自身が生みだしたイメージと言葉のなかに物語を見出す。」(P9)
「…私たちがこうあるべきだと信じる本の姿は読むたびに変わる。長年のうちに、私の経験、趣味、先入観は変化してきた。…「万物は流転する」というヘラクレイトスの名言は、私の読書にもあてはまる。「同じ本を二度同じように読むことは出来ない」」(P10)

「G.K.チェスタトンはあるエッセイでこう述べている「どんな本でも、一冊の本がそのためだけに書かれたと思わせるいくつかの言葉がある」。」(P39)

 この言葉は、著者の意図を直感的に感じるものがある、ということなのでしょう。
 大池文雄『水戸コミュニストの系譜』で、「安東仁兵衛の「戦後日本共産党私記」を読んで、もしかしたらこの本は査問・リンチ事件の、この一章を書くために書かれたのではなかったか、そこに隠されたキーがある、と私は思った。…しかしこの本はその目的を達しただろうか。ひとをも自分をも傷つけないように用心深く書かれた綴り方。この懺悔は果たして彼に解脱を齎しただろうか。」(P54)
 「論文とりわけ博士論文というのはなんと奇妙な形式だろう。…重要なことは数行で書けるのに、そのために数百ページを要し、しかも各章に数十の注を付す。権威主義の典型だろう。…もし真の反抗が起こるとすれば、それはアカデミズムの作法に精通し、その矛盾と空しさを徹底して味わった人たちの間からではないだろうか。」とは、西川長夫の『植民地主義の時代を生きて』のあとがき(P580)。
 「…学者たちの書くものはどうしてあんなに分厚いのですかねえ?いうことがあまりない時、人々は無理やりことばを積み上げようとするからながくなるんじゃないかしら?私の考えでは、人間に関する思想で二百語以内で表現できないことなんてそんなにないと思うんですが、あなたはどう思いますか?」とはエリック・ホッファー『百姓哲学者の反知識人宣言』のことば。
 本は、人のためというよりも前に、まず《商品》にならなければ、本になることすらないのでしょうか?
 マングェルは違う箇所で、フローベールの言葉として「長い本はいつも真ん中あたりのページでうんざりしてしまう」(P190)と紹介しています。

「…どれほど勤勉に努力しても、目的が高尚でも、よき相談相手がいても、水ももらさぬ調査ができても、痛ましい経験があっても、古典の教養があっても、音楽を聴く耳があっても、文体の趣味がよくても、良い文章がかけるとはかぎらない「ペンはない、インクもない、テーブルもない、部屋もない、時間もない、静けさもない、やる気もない。」とジェイムス・ジョイスは一九〇六年十二月七日、弟に宛てて書いている。まさにそのとおりだ。」(PP40-41)

 『ユダヤ人であること』では「私はユダヤ人なのか?私は何者なのか?」(P47)とアイデンティティの危機がにじみ出る文章。


 「どんなジャンルも成立と同時に前史が生まれる」(P53)
 「ジュネは、抑圧者には絶対に譲歩してはならないということを肝に銘じていた。」(P56)
 「ジャン・コクトーがジュネの『花のノートルダム』の原稿をポール・ヴァレリーに見せようとしたとき、ヴァレリーは「そんなものは燃やしてしまえ」といった」(P57)
 「ブエノスアイレスの高校を卒業してから、…パリとロンドンですばらしい十年を過ごした。…図書館では…暇つぶしのために何冊か本を借り、最後まで読みとおすことはまれだった。方針もなく、知識にもとづいた秩序もなく、義務感もなく、厳密な探究心もない。それが私の読書体験だった。体と同じく、心もさまよっていた。」(PP65-66)
 「一九七〇年十一月、私が穏健なるアナキストになったのはこういうわけである。」(P71)

 第1章「私は誰?」をしめくくる『プロメテウス頌』は2ページほど、短いながら「その問題は古代からのものだ、と私の書斎が教えている。」(P72)と書き始められ、マングェルの問題意識を要約している重要な文章です。

 第2章「巨匠に学ぶ」は、ボルヘスについてのエッセイがまとめられています。


 「若いころボルシェビキ革命賛美の詩を書いたことに後悔の念を抱いていたボルヘスにとって、共産主義は憎悪の的だった。」(P79)
 「ペロン政権下のアルゼンチンで、ナチに反対する意見をはっきりと述べた数少ない知識人のひとりがホルへ・ルイス・ボルヘスだった。」(P101)「彼は政治を嫌い(「人類の行為の中で最も悪辣だ」)フィクションの真実を信じ、真実の物語を伝えようとする人間の能力を信じたのだ。」(P104)

 ボルヘスの作品の魅力を伝える文章がありますが、これらは読んでいただきましょう。

 第3章「覚え書」で、チェ・ゲバラを評し、「チェは私たちが見たのと同じものを見た。私たちが感じたのと同じことを感じた。「人間の境遇」が根本的に不公平であることに怒りを覚えた。だが、私たちとちがって、彼はそれをなんとかしようとして行動した。」(P127)その結果については、疑問を記しています。


 「ドン・キホーテがいうように、不正行為のほとんどは、責任をとるべき人びとが結果を引き受けずにすむとわかっているからなされるのだ。」(P156)
 「隠喩は隠喩の上に、引用は引用の上の築かれる。人によっては、他人の言葉を引用の源泉と見なし、それによって自分の考えを表現する。また別の人びとにとっては、他者による言葉が自分の考えそのそものであり、他人が考え出した言葉を形だけ変えて紙の上に並べ、語調や前後の脈絡を変えることで、まったく別のものにつくりなおす。このような連続性、このような盗用、このような翻訳作業がなければ、文学は成立しない。そして、このような作業を通して、文学は永遠性を保つ。周囲の世界数変化するなかで、飽きもせずに寄せては反す波のように。」(PP168-169)


 このことを、第2章でボルヘスが愛読したサー・トマス・ブラウンのことばを紹介していました。


 「どんな人も、その人だけの存在ではない。これまで大勢のディオゲネスが生きてきたし、同じぐらい大勢のティモンがいたが、名前が残るのはごく少数である。人は何度も生きなおす。いまの世界は、過ぎ去った時代の世界と同じだ。過去に同じ人間がいたわけではないが、同じような人間はつねに存在した。その人間の本質はいまも昔も変わらず、何度もよみがえる。」(P92)

 後半は、次回にしましょう。


「パストラル-牧歌の源流と展開-」 [本]

パストラル.JPG牧歌を題材に、文学、美術、音楽、演劇などの芸術史に8人の研究者の方々が論じていて、私は教えられこともたくさんあり、面白く読めました。

 書店でこの本を見つけて、ぱらっと見た序章で、ニコラ・プッサンの『アルカディアの牧人たち』の画が取り上げられていたので、すっと引き込まれました。
 第一章で、テオクリトス(前三世紀)が、牧歌の始祖として位置づけられる、としています。

 「テオクリトスはシチリア出身であるが、後にアレクサンドリアに移住している。・・・テオクリトスが活躍したヘレニズム時代では、大都市の発展に伴い、田園は都市住民の生活空間から離れていった。これは、前四世紀前半までの古典時代において、ポリスと農民が密接につながっていたことと、大きく異なっている。その結果ヘレニズム時代においては「田園を理想化し、自然に囲まれた生活に郷愁を見出す牧歌という文学」が成立することになったのである。」
「テオクリトスの『牧歌』はドリス方言で書かれ、田舎びた言葉、素朴な響きで牧人の雰囲気を伝える。」(P25)

と簡潔に牧歌を説明されています。
 糸杉と死の関連について、オデュッセイアを紹介する中でなるほどとうなづける安村典子氏の文章がありました。

 「(カリュプソ)島中に漂う香り、繁茂する糸杉、スミレの花などは、特殊な意味を持っていると考えることができる。これらが「死」を象徴するものとして理解しうることは、すでに拙論で述べている・・・一例を挙げれば、古代ギリシアでは、糸杉はその芳香ゆえに、死者を火葬する際の薪として重用されていた。糸杉の薪を十分に調達できない場合は、さまざまな木で作られた薪を積み上げた上に、葬いであることを示すために、象徴的に糸杉の一枝を載せる習慣もあった。」(P30)

といいます。
 テオクリトスがギリシア古典時代にシチリアのシュラクサイを理想郷として描いたが、ローマ時代になりシチリアを属州としたことによって大きな変化が生まれた。ウェルギリウスは、シチリアではなく牧人の神であるパーンの故郷とされるアルカディアが選ばれる。そこはギリシアのペロポネソス半島中央部の、現実のアルカディアとは異なるといいます。
 それから、旧約聖書、古代エジプトの愛の歌、雅歌などに、パストラルを各論者が読み解きます。
 とくに、河島思朗氏がウェルギリウスでの《祖国》、さらに川島重成氏がウェルギリウスの歴史観に注目して聖書的歴史観(予型論的歴史観)と対比します。

 英国文学におけるパストラル思想(第六章)。ユートピア、森のラテン語と英語の違いなど踏み込んだ検討、エコロジーの思想まで展開するのも面白い。イギリス、パストラル風ロマンス劇としてシェイクスピア『お気に召すまま』をとりあげています。その中で、皮肉屋「ジェイキスにとって、人生は舞台でそれぞれの時代を演じる役者であり、人の一生は無に過ぎない」(P207)という見方と、老僕アダムによるジェイキス批判というテーマを取り上げています。しかし、ジェイキスの台詞は「人とは何か?人とは何でないのか?影の見る夢―それが人間なのだ。」というピンダロスの『祝勝歌』や、ボルヘスがテーマにしたことと通じるところが感じられます。老僕アダムがどう批判するのか、シェイクスピア『お気に召すまま』を読んでみようか、と思いました。
 つづいてミルトンとパストラルの伝統(第七章)、最後が金澤正剛氏による音楽におけるパストラル。

 「ヨーロッパ音楽史にパストラルが始めて登場するのは、十二、十三世紀フランスの中世歌人の田園詩、ないしは牧歌としてである。これらの歌人には二つのグループがあり、先に活動したのトゥルバドゥールの活動地域はフランス中部から南部にかけてで、オク語と呼ばれる古語を用いて詩を書いていた。また彼らよりも半世紀遅れた活動を開始したトルヴェールたちは来たフランスで、フランス語のルーツともいえるオイル語による詩を書いていた。」(P241)

従来、トゥルバドゥールたちが放浪の吟遊詩人と見なされてきたが、それは違う、と指摘(P241)されています。
 中世歌曲、ルネサンス後期の牧歌劇、とくに『エルサレムの解放』を書いたタッソーによる牧歌劇『アミンタ』の成功が人気の口火といいます(P252)。それを受けてグァッリーニの牧歌劇『忠実な羊飼い』が書かれたとのことです。
それから、クラシック音楽にパストラルを取り上げ紹介しています。有名な『グリーン・スリーブス(緑の袖)』もまた、もともとはパストゥーレルの主題を受け継いだもの(P251)と指摘されていました。

 ただ一点だけ、「さらにヴィヴァルディは一七三七年ごろに管楽器による合奏曲を作品一三として出版したが、それに『忠実な羊飼い』という題をつけたのも、管楽器がもともと羊飼いの楽器であるということと同時に、グァッリーニの牧歌劇にあやかろうと考えたのは明らかであろう」(P257)。この作品は、長くヴィヴァルディの作品と信じられてきたが、1974年に音楽学者から疑義が発せられ、1989年にニコラ・シュドヴィル(1705-1782)の作品であることが突き止められています。これは訂正しておきたいです。
 ついでにもうひとつ校正の問題でしょうが、214ページの冒頭行が、前のページのアイリアノス『奇談集』の引用と連続しておらず、ピケナス出版の方がご覧になっていたら、これも正誤表があれば欲しい所です。

 さて、バロック音楽以降のパストラルは、ドビュッシーの『牧神の午後の前奏曲』、「パンの笛、またはシランクス」などもあり、読みながら、音楽の魅力が呼び起こされました。私が持っているCDからも紹介しておきましょう。
 P.O.フェルー「フルートのための3つの小品 Ⅰ.恋する羊飼い」
 ポール・タファネル「アンダンテ・パストラールとスケルツェッティーノ」
 ボザ「夏山の一日 1.パストラール」
 メンデルソーン「無言歌 5.羊飼いの訴え」
 グリーク「抒情小曲5-1 羊飼いの少年」
 他にも、ドヴォルザーク「チェコ組曲 前奏曲(パストラール)」シベリウス「ぺリアスとメリザンド 5.パストラール」などまだまだあるようです。

 トゥルバトゥールについては、早川書房のナショナル ジオグラフィック・デレクションズのW.S.マーウィン『吟遊詩人たちの南フランス』、もっと古くは筑摩叢書198のアンリ・ダヴァソン『トゥルバトゥール 幻想の愛』という書物があることを知っています。田舎での郷愁を誘う幼い恋愛だったり、つれなく満たされない片思いだったりする詩情が、私には魅力です。しかし、それだけに止まらず、差別された南仏、都市に対立する“後進化”された地方、という意味で、オク語や異端カタリ派の歴史にも興味があります。シモーヌ・ヴェイユが『オク語文明の霊感は何にあるか?』を書いたことに注目してもいます。
 そんな訳で、すごく刺激を受けた本でした。


中神美砂『令嬢たちの知的生活-十八世紀ロシアの出版と読書』 [本]

このユーラシア・ブックレットは、気になるテーマを取り上げているので、ついつい気にかけてしまい、これまでも何冊か購入しました。
     アルメニア近現代史-民族自決の果てに
     ロシア史異聞
     十九世紀ロシアと作家ガルシン-暗殺とテロルのあとで
     アレンスキー-忘れられた天才作曲家
     スターリンの赤軍粛清

令嬢たちの知的生活―十八世紀ロシアの出版と読書 (ユーラシアブックレット)

令嬢たちの知的生活―十八世紀ロシアの出版と読書 (ユーラシアブックレット)

  • 作者: 中神 美砂
  • 出版社/メーカー: 東洋書店
  • 発売日: 2013/05
  • メディア: 単行本

今回は、令嬢たちの知的生活。

「ピョートル一世が実施した一連の近代化・西欧化政策の中で、ロシア女性の立場に大きな影響を与えた三つの政策がある。」(P7)として、第一に女性の相続・財産権を持てるようにした。


「18世紀において女性が財産権を持っていたのは、西欧諸国の中ではロシアだけだった。」(P8)

第二に公式の祝宴や夜会への夫人及び娘の同伴命令。
第三に女性が教育を受けることが出来るようにした。

 十八世紀後半の教養女性の代表ダーシコワは、回想録で「十九歳の結婚当時、私は九百冊の蔵書を持っていました」という。「印刷された書籍の価格は高く、購入できたのは裕福な上流貴族などに限られていた。書籍一冊の平均価格が1ルーブルで、この金額は一ヶ月の労働者を雇うのに十分な金額だった」と文化史家クラスノバーエフは語る。

 ダーシコワの死後、蔵書カタログによると、フランス語書籍1650冊、ロシア語書籍1353冊、英語書籍520冊、ラテン語書籍453冊などで、雑誌を加えると総数は4500冊以上に及んでいる(P26)、ということです。素晴らしい。
 在ロシア・フランス大使のセギュール伯爵は、1780年代のペテルブルグの貴族社会の女性について、「女性は向上の道において男性よりずっと先を進んでいます。上流社会において出会った多くの夫人や子女は美しく着飾るだけでなく、四つか五つの言語を話し、しかも様々な楽器を演奏でき、フランス、イタリア、イギリスの有名な作家の作品を読んで知っています。」と教養の高さを評価しています。(P34)

 教養ある女主人を中心にした社交形態のサロンについて紹介されています。(P48)
 こうしたサロンが、進歩的な青年貴族の反乱(デカブリストの乱)のように体制と対立することがあっようです。

 このデカブリストの反乱について言及している本がありました。田中克彦『シベリアに独立を!』で、1825年、


「首都ペテルブルグの元老院広場で若い貴族の子弟たちを含む知識人たちが専制と農奴制の廃止を求めて立ち上がった。蜂起は簡単に鎮圧され五人の首謀者が絞首刑を執行され、121人がシベリアに送られた。・・・夫だけをシベリアにやらせるわけにはいかないというので、若い妻たちの知られているだけでも11人もが貴族の身分を捨てて夫を追ってシベリアに向かうことを願い出て許され、それぞれ運命をともにした。再び首都に戻ることなくシベリアの流刑地で果てた・・・」(P4)
「十九世紀中頃、最も人気のあった詩人ネクラーソフの、夫を追いかけて、中にはフォンヴィージナ夫人のように二人の幼児を置いて、困苦の待つシベリアへ向かった・・・皇帝は妻たちがシベリアに行くことによって生ずる社会的動揺を恐れて、道中要所の役人たちに命じて何とか思いとどまらせようとするが、妻たちは役人に向かってこう答える。
     たとえ死ぬさだめであろうとも
     少しも悔いはございません・・・
     わたしはまいります! まいります! わたしは
     夫のそばで死なねばなりません。(『デカブリストの妻』岩波文庫P54-55)」(P6)

 「ペテルブルグで最も機知に富んだ、学問の香り高いサロンはカラムジナーのサロンである。・・・ペテルブルグに住む有名人や才能豊かな人は毎晩カラムジナーのサロンを訪れた。心温まるもてなしであったが、非常に簡素だった。」(P56)
 「彼女のサロンの常連は、作家ジュコフスキー、プーシキン、レールモントフ、ホミャコフ、ツルゲーネフだった。彼女のサロンは通常十時に始まり、夜中の一時、二時まで続いた。平日は八人から十人ほどが集まり、日曜日にはより多くの人が集まった。サロンは地味で、赤い毛織物で覆われた家具があった客間で、出されたものは、とても質素で、濃いお茶と濃厚なミルクと、バターがついたパンだけだったとされる。しかし、このサロンは誰からも愛されていた。」「カラムジナーのサロンから出てきた人たちはまるで生き返ったように、生き生きしている」「カラムジナーのサロンでは話のテーマは哲学的な問題ではなかったし、ペテルブルグのつまらない噂でもなかった。ロシア文学と外国文学、そして我が国とヨーロッパの重要な出来事が話の話題だった。・・・私たちの心と耳を生き返らせ、豊かにしてくれた。それは当時の息苦しいペテルブルグの雰囲気の中では特に有益だった。」と、暖かく、愛らしい、高い倫理観のある家としている。(P57)


千野境子『インドネシア9・30クーデターの謎を解く-スカルノ、スハルト、CIA、毛沢東の影』 [本]

歴史ドキュメントで、マヤコフスキー事件、白鳥事件、黒川創『暗殺者たち』を読んできたのですが、

「1965年10月1日未明、インドネシアの首都ジャカルタ。時のスカルノ政権転覆の動きを阻止するとの名分で陸軍左派がクーデターを起こす。陸軍戦略予備軍司令官スハルトは直ちにこれを鎮圧、クーデターの影の主役だとしてインドネシア共産党(PKI)を一掃する大弾圧を行い、結果、夥しい数の犠牲者が出た。・・・」

というインドネシアの9・30事件についての話。

インドネシア9.30クーデターの謎を解く: スカルノ、スハルト、CIA、毛沢東の影

インドネシア9.30クーデターの謎を解く: スカルノ、スハルト、CIA、毛沢東の影

  • 作者: 千野 境子
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2013/09/28
  • メディア: 単行本


 これに先立つこと、「オランダとの独立戦争のさなかの1948年9月18日、PKIなど人民民主戦線と国軍の一部が反乱を起こし、ジャワ・ソビエト共和国を樹立した。しかし革命政府はまもなく倒れ、PKIは壊滅的な打撃を受けた。」マディウン事件なるものがあったことを知りました。
 また、この事件を題材にした映画『危険な年』(1984年、オーストラリア。主演メル・ギブソン、シガニー・ウィーヴァー)がありましたが、このタイトルが、スカルノ大統領の1964年(9・30事件前年)に行った独立記念日の演題ということを知りました。この演題は、古今東西の書物引用をするスカルノが選び、元はイタリア語であるそうです。
 オランダからの植民地解放後、国内危機を外に向ける対マレーシア政策が事件の呼び水になっているようです。連邦国家マレーシアの背後にはイギリスが黒幕として控え、東南アジアにおける影響力を強めるものとし、対決色を強める中で、事件が起こる条件があったようです。
 インドネシア共産党の創設にかかわった人間として、植民地宗主国オランダ人のヘンドリック・スネーフリートの名が記されていました(P109)。彼こそマーリン(馬林)という偽名でコミンテルン代表として中国共産党の設立にもかかわっています。この時代の活動は、波多野善大『国共合作』(P39)で詳しく書かれていて、

国共合作 (1973年) (中公新書)

国共合作 (1973年) (中公新書)

  • 作者: 波多野 善大
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1973
  • メディア: 新書

孫文らとも交渉しています。後にはトロツキーと反対派を形成したり、最後はオランダに侵攻したナチスへのレジスタンス運動を行い、つかまってインターナショナルを歌いながら絞首台に向かったそうです。
 もう一人、スハルト政権下で国連総会議長も勤めたことがあり、最後は副大統領になったアダム・マリクのCIAのスパイ説。もともとマルクス主義者だったが、駐モスクワ大使を務め、共産主義社会を現実に体験した。そこで共産主義への幻滅が生まれたという。「かつて共産主義に傾倒したとしても、ソ連勤務の結果、これはインドネシアが従うべき道ではないと私は確信した。」現実に触れた者だけが知ることの出来た早い覚醒だったのでしよう。

 陸軍左派のクーデターによって殺害された7人の将軍たちへの赤色テロ(P124)もだか、アメリカの黙認によってスハルトによる白色テロが暴君のように暴れまわった(P198)。民謡『ブンガワン・ソロ』の甘い旋律で有名なソロ川は「人々の血で真っ赤に染まった」という。
 この本では、この凄まじさがわからないので、ヴィジャイ・プラシャド『褐色の世界史』(バリ-共産主義者の死)から補っておきます。

褐色の世界史―第三世界とはなにか

褐色の世界史―第三世界とはなにか

  • 作者: ヴィジャイ プラシャド
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2013/03
  • メディア: 単行本
    •  
        •  
            •   「この65年から66年の共産主義者狩りで、バリ島の人口は8パーセント、約10万人減少した。・・・この事件について訪ねられた生存者は、恐怖のただ中の光景を思い起こしている。」「通りという通りが肉片や内臓や血で一杯になり、河川は氾濫して死臭を漂わせた。」(P187)「この虐殺に対する怒りの声は、世界中のどこからもほとんど聞こえてこなかった」(P188)
               
          •  なぜ、こんなことが起こってしまったのか?
             千野氏はしずかに取材をすすめ、「第五章 毛沢東の扇動」という章にいたる。そこに中国の世界革命戦略がすえつけられているとのことです。詳しくは、本を読まれたし。
             それにしても、事件の“犯人探し”に関心が行き過ぎた。クーデターはインドネシアの伝統的人形影絵劇ワヤンなのでしょうか? 劇中の影を映す人形とそれを操る人間の姿。そんな左翼冒険の劇としても、現実は、血まみれの観客がどれほどいたのか、私の関心はそちらに流れてしまいます。

エリック・アザン『パリ大全 ーパリを創った人々・パリが創った人々』 [本]

パリ大全: パリを創った人々・パリが創った人々

パリ大全: パリを創った人々・パリが創った人々

  • 作者: エリック・アザン
  • 出版社/メーカー: 以文社
  • 発売日: 2013/07/22
  • メディア: 単行本

 この本は、何をキーとし読み解かれる本だろうか。
冒頭の短めの章で「境界の心理地理学」が立てられているが、といって、それが学説のような厳密な定義づけが行われるでもありません。
 “プールヴァール”(堡塁)という、パリを囲う壁が設けられて、旧パリ・新パリ区分する。さらに、中心部に対して周辺部という意味で、新パリを“フォブール”という城壁が区分するという。そして、さまざまな街区を人々と建築物の歴史と文学の記述の中から掘り出していく。
 パサージュ論を書いたベンヤミンがよく参照もされる(P51-53)。そんな風に、街区、通りを訪ね歩き、いにしえの由来、そこに誰が住んでいたか、どんな景色を見たか・・・を詳細に、記述している。
 ですが、半分以上を占めている第一部は、かつて住んだことがあったり、行ってみたことがある人には、イメージしやすいかもしれないが、読んでつかむ事は難しい、と感じました。豪華本ではないが、図版や写真などを多用して、一般的な読者にイメージしやすくすれば、と感じました。

第二部は、赤いパリ。
 パリ・コミューンの“バリケード”がテーマです。
 本文では、ダニエル・スターンのサン=ドニ門での戦い(P275)を記しています。このダニエル・スターンとは、マリー・ダグー伯爵夫人のことです。

マリー・ダグー―19世紀フランス 伯爵夫人の孤独と熱情

マリー・ダグー―19世紀フランス 伯爵夫人の孤独と熱情

  • 作者: 坂本 千代
  • 出版社/メーカー: 春風社
  • 発売日: 2005/06
  • メディア: 単行本

このサン=ドニ門の図版は、喜安朗『パリ-都市統治の近代』のP11で見ることが出来ます。

パリ 都市統治の近代 (岩波新書)

パリ 都市統治の近代 (岩波新書)

  • 作者: 喜安 朗
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2009/10/21
  • メディア: 新書


 この同じ戦いをヴィクトル・ユゴーが『見聞録』で記していました(原注XLI *102)。この戦いは印象に残りましたので、本文のダニエルではなく、原注のユゴーの文をここでは採録しておきましよう。

「国民軍は恐れというよりも苛立ちから,猛然と襲いかかった.このとき,ひとりの女性がバリケードのてっぺんに姿を現した.若くて美しく,髪をふり乱して恐ろしい形相をしていた.娼婦であったこの女性はドレスを腰までまくりあげて,国民軍に向かって売春宿の醜悪な言葉使いで叫んだ.これは次のように翻訳しておかねばなるまい.「卑怯者めが,女の腹めがけて撃てるものなら撃ってみろ!」.ここで,事態は恐るべきものとなる.国民軍は躊躇しない.国民軍の部隊から発砲された弾でこの哀れな女は裏返しになり,大きな叫び声をあげながら倒れる.すると突然もうひとりの女が姿を現す.この女はさっきの女よりも若くさらに美しかった.それは17歳にも満たないだろう子供のようだった.なんという哀れ!彼女もまた娼婦だった.彼女はドレスを引き上げ,腹を見せながら,こう叫んだ.「悪党ども,撃つなら撃て!」.さっきと同じように銃声が響いた.銃弾で穴のあいた彼女のからだが,さきほどの女のからだの上に崩れ落ちた.こうしてこの戦争は始まった.」

パリジェンヌのパリ20区散歩 (河出文庫)

パリジェンヌのパリ20区散歩 (河出文庫)

  • 作者: ドラ・トーザン
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/06/05
  • メディア: 文庫

ドラ・トーザン『パリジェンヌのパリ20区散歩』でも、この歴史の歩みを、さりげなく記していました。

「・・・区とは、やや恣意的で、しかも比較的歴史の浅いわけ方です。実際、昔のパリは、いくつもの村で構成されていました。その後、オスマン男爵が-多くのパリ市民の批判浴びつつ-パリの表情を一変させました。彼はパリを横切るアヴェニューやブルヴァールと呼ばれる大通りを建設し、現代のパリの基盤を作りました。革命派のバリケードに対して、警察や砲兵隊の行動をスムーズにするため、昔からある狭い通りは壊され、大きな幹線道路が作られました。・・・パリの新しい境界線が描き直されました。そして1860年、パリは20の区に分けられ、ついにオスマン男爵の一大事業は完成を遂げたのでした。」(P16-17)

このオスマン男爵のパリ大改造について、デヴィット・ハーヴェイも『反乱する都市』で記述(P31)してました。

反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造

反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造

  • 作者: デヴィッド・ハーヴェイ
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2013/02/05
  • メディア: 単行本

(ハーヴェイには『パリ-モダニティの都市』もありますが、私は読んでいません。)

第三部は、雑踏のパリ。
 ここで、ボードレールや印象派の絵画やアジェ(Jean-Eugene Atget)の写真などが、取り上げられています。


 文学、絵画、写真が取り上げられる割に、音楽がないように感じました。
大革命期の「マルセイエーズ」もあっただろうし、

革命期のフランス・オルガン音楽

革命期のフランス・オルガン音楽

  • アーティスト: イゾワール(アンドレ),モワロー,ラスー,シャルパンティエ,コレット,ルジェ=ド=リール,バルバトル,カルビエール,セジャン,ダカン
  • 出版社/メーカー: キング・インターナショナル
  • 発売日: 1995/04/21
  • メディア: CD

街角では、シャンソンの歌声もあったのでは・・・と思いました。


江藤淳『考えるよろこび』について [本]

 江藤淳については、ヘレーン・ハンフ編著『チャリング・クロス街84番地』の訳者、それからアントレ・ゴルツの死を知ったとき、日本でも江藤淳が妻を亡くして追うように自殺した、という程度しか私は知らなかった。ウィキペディアで調べると、皇室に嫁いだ雅子さんの実家小和田家と親戚関係(ウィキペディア)になるようです。

考えるよろこび (講談社文芸文庫)

考えるよろこび (講談社文芸文庫)

  • 作者: 江藤 淳
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/10/11
  • メディア: 文庫

この本は講演集(1968頃)です。
「考えるよろこび」、「転換期の指導者像-勝海舟について」「二つのナショナリズム-国家理性と民族感情」と読み進めていくと、タイトルとだいぶ違う印象を受けました。演題「考えるよろこび」で、江藤淳が語ったこと、というのが正しいのかな。
 初め、「・・・考えるという人間の行為にはいろいろな方向がある。」として、自然の分析・実証、法則、因果律や必然性という方向がある。しかし、「・・・自分についての発見ということが、ものを考えるということの出発点でもあり、ゴールでもあるのではないか・・・」(P11)と説き起こします。この江藤の考え方は、F・M・コンフォード『ソクラテス以前以後』に共通のものです。

ソクラテス以前以後 (岩波文庫)

ソクラテス以前以後 (岩波文庫)

  • 作者: F.M.コーンフォード
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/12/18
  • メディア: 文庫

「プラトンはある対話編において、ソクラテスが成し遂げた思想革命、つまりどのようにしてソクラテスは外的自然の研究から、人間の研究および社会における人間行為の諸目的の研究へと哲学を転回させたかをソクラテスその人に述懐させている。」(P12)
「この早い時期の自然学においては、・・・その事象がどのようにして生起したかということのより詳細な描像を提供する。しかしそれはなぜ生起したかをわれわれに教えはしない、とソクラテスは考えた。ソクラテスが求めていた種類の原因説明は「なぜ」という問いへの理由づけだった。」(P13)

 江藤淳は、さらに進めて、ソポクレス『オイディプウス』、ソクラテスの死、エドマンド・ロス上院議員(米合衆国)のエピソードを詳述します。その問題意識は、「転換期の指導者像-勝海舟について」でも同じように感じました。
 「・・・人間のあるべき姿、人間が自分の運命を勇敢に引きうけていけるような精神の気高さと悲惨さのなかの威厳・・・」(P28)を描き出しています。
 ここにあるものは、自分の信念が、引き受けるべき運命をもたらすものなら、覚悟の上で受け入れること、と主張しているように思います。社会的に読むと、<問題>を他者に委ね、あるいは転化し、そこから逃避することのないあり方。それがどんなに割に合わず、最悪自らの死が待ち受けようとも、自身が引き受ける度量を持つべきだ、と言っているようです。同時に、人間の生き方として考えると、宿命論(ソポクレス的悲劇、命ぜられるままに毒杯をあおるソクラテス)に逆らわず、それを全うすることが尊い、と言っているようです。

 ただし、そうした潔(いさぎよ)さは稀(まれ)だろう、と思う。また、そこには独善性の罠、落とし穴もひそんでいる気がしてならない。例えば、2・26事件の主力となった第一師団が、その後、どんな哀れな末路をたどったか?(岡田和裕『満州辺境紀行』P88 など)

満州辺境紀行―戦跡を訪ね歩くおもしろ見聞録 (光人社NF文庫)

満州辺境紀行―戦跡を訪ね歩くおもしろ見聞録 (光人社NF文庫)

  • 作者: 岡田 和裕
  • 出版社/メーカー: 潮書房光人社
  • 発売日: 2013/12/31
  • メディア: 文庫


 それと反対に、多分に打算的で、状況に身をゆだねて流される(生き残る)、そうはならない人々の存在がある。この人々によってのみオイディプウスの悲劇性も成立しうるし、ソクラテスの毒杯も為政者のためにではなく、そうした人々のためにこそ死を選び取ったはずだ、と思うのです。江藤淳の説は、もし、客観的記述を許されるなら、人身御供、スケープゴート、人柱への宿命へ、話者としての悲劇的な“本人の語り”という説話の構造にもなっている。そんな違和感がずっと残るものでした。
 問題はやはり、このそうはならない人々と折り合いをどうつけるかでしょう。さもないと、人身御供と等価で置き換えられて英雄主義に転化した場合、江藤の言う「悲惨さのなかの尊厳」とは、ただ膨大な悲惨を生むのでは?という疑問が残ってしまいました。


スーザン・ソンタグ『こころは体につられて 日記とノート1964-1980 上』 [本]

 日記の第一巻『私は生まれなおしている』に続き、第二巻(の上)ということです。
ソンタグ31歳~47歳の日記、既に小説や『反解釈』などを出版もしているせいか、メモかな、という印象です。

こころは体につられて 上: 日記とノート1964-1980

こころは体につられて 上: 日記とノート1964-1980

  • 作者: スーザン・ソンタグ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/12/25
  • メディア: 単行本


私が、気になった言葉を記しておきましょう。

自分から世界を批判する判決を出せないなら、自分自身を批判する判決を下すべきだ。(P73)

ニーチェ:「事実というものは存在しない。存在するのは解釈のみである。」(P94)

「人間は真理を体現することはできても、それを知ることはできない。」W・B・イェイツ(最後の手紙)1939年死去(P125)

ノヴァーリス・・・新たな芸術は書物の総体ではなく断片だ、看破した。断片術-意思疎通の阻害ではなく意思疎通を絶対的なものにするための断片的な言語の必要性(P195)

「独りっきりで本を書く人間なんていないよな。本はすべて共同作業の賜物さ」。(P200)

エヴァが指摘したとおりだ。「カント」から「D・H・ロレンス夫人」への大転換がなかったら、フィクションの執筆など私にけっしてできなかっただろう。(P361)

ここあるのD・H・ロレンス夫人とは、フィクションとしての作品『チャタレイ夫人の恋人』を差しているのか、ノンフィクションとしての、ロレンスが駆け落ちをした人妻フリーダ・フォン・リヒトホーフェンのことだろうか?この「カント」から・・・という一行から、CMでもお馴染みの、与謝野晶子の《柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君》という短歌が思い出される。ソンタグが日記で性の問題を書き記している悩みからも、それはノンフィクションだろう。

無音と還元について、ケージ+ソローの考え(P367)

ケージはジョン・ケージのことだろうし、ソローはヘンリー・ディヴィット・ソローのことだというが、さて、この小さな短文から何が構想・展開されようとしているのか?

1920年代はロシアの近代芸術で最も素晴らしい時代だったけれど、彼らは先を行きすぎた+孤高すぎた。(P369)

として、エイゼンシュタインやマヤコフスキーに触れていました。

・・・(ベルナルド)ベルトルッチの映画『革命前夜』の提言(モットー)-「革命の前の時代に生きていなかったものは、人生の甘美を一度も味わっていない」・・・(P373)

1968年ベトナム(戦争下)ハノイでの文章らしいが・・・後藤篤志著『亡命者 白鳥警部射殺事件の闇』を読んだから言うわけではないがないが、甘美といえるものかどうか、保留をしておこう。

亡命者: 白鳥警部射殺事件の闇 (単行本)

亡命者: 白鳥警部射殺事件の闇 (単行本)

  • 作者: 後藤 篤志
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/09/09
  • メディア: 単行本

革命のための言語が革命を裏切る。(P380)

の方が、正しいかも。


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