SSブログ

「パストラル-牧歌の源流と展開-」 [本]

パストラル.JPG牧歌を題材に、文学、美術、音楽、演劇などの芸術史に8人の研究者の方々が論じていて、私は教えられこともたくさんあり、面白く読めました。

 書店でこの本を見つけて、ぱらっと見た序章で、ニコラ・プッサンの『アルカディアの牧人たち』の画が取り上げられていたので、すっと引き込まれました。
 第一章で、テオクリトス(前三世紀)が、牧歌の始祖として位置づけられる、としています。

 「テオクリトスはシチリア出身であるが、後にアレクサンドリアに移住している。・・・テオクリトスが活躍したヘレニズム時代では、大都市の発展に伴い、田園は都市住民の生活空間から離れていった。これは、前四世紀前半までの古典時代において、ポリスと農民が密接につながっていたことと、大きく異なっている。その結果ヘレニズム時代においては「田園を理想化し、自然に囲まれた生活に郷愁を見出す牧歌という文学」が成立することになったのである。」
「テオクリトスの『牧歌』はドリス方言で書かれ、田舎びた言葉、素朴な響きで牧人の雰囲気を伝える。」(P25)

と簡潔に牧歌を説明されています。
 糸杉と死の関連について、オデュッセイアを紹介する中でなるほどとうなづける安村典子氏の文章がありました。

 「(カリュプソ)島中に漂う香り、繁茂する糸杉、スミレの花などは、特殊な意味を持っていると考えることができる。これらが「死」を象徴するものとして理解しうることは、すでに拙論で述べている・・・一例を挙げれば、古代ギリシアでは、糸杉はその芳香ゆえに、死者を火葬する際の薪として重用されていた。糸杉の薪を十分に調達できない場合は、さまざまな木で作られた薪を積み上げた上に、葬いであることを示すために、象徴的に糸杉の一枝を載せる習慣もあった。」(P30)

といいます。
 テオクリトスがギリシア古典時代にシチリアのシュラクサイを理想郷として描いたが、ローマ時代になりシチリアを属州としたことによって大きな変化が生まれた。ウェルギリウスは、シチリアではなく牧人の神であるパーンの故郷とされるアルカディアが選ばれる。そこはギリシアのペロポネソス半島中央部の、現実のアルカディアとは異なるといいます。
 それから、旧約聖書、古代エジプトの愛の歌、雅歌などに、パストラルを各論者が読み解きます。
 とくに、河島思朗氏がウェルギリウスでの《祖国》、さらに川島重成氏がウェルギリウスの歴史観に注目して聖書的歴史観(予型論的歴史観)と対比します。

 英国文学におけるパストラル思想(第六章)。ユートピア、森のラテン語と英語の違いなど踏み込んだ検討、エコロジーの思想まで展開するのも面白い。イギリス、パストラル風ロマンス劇としてシェイクスピア『お気に召すまま』をとりあげています。その中で、皮肉屋「ジェイキスにとって、人生は舞台でそれぞれの時代を演じる役者であり、人の一生は無に過ぎない」(P207)という見方と、老僕アダムによるジェイキス批判というテーマを取り上げています。しかし、ジェイキスの台詞は「人とは何か?人とは何でないのか?影の見る夢―それが人間なのだ。」というピンダロスの『祝勝歌』や、ボルヘスがテーマにしたことと通じるところが感じられます。老僕アダムがどう批判するのか、シェイクスピア『お気に召すまま』を読んでみようか、と思いました。
 つづいてミルトンとパストラルの伝統(第七章)、最後が金澤正剛氏による音楽におけるパストラル。

 「ヨーロッパ音楽史にパストラルが始めて登場するのは、十二、十三世紀フランスの中世歌人の田園詩、ないしは牧歌としてである。これらの歌人には二つのグループがあり、先に活動したのトゥルバドゥールの活動地域はフランス中部から南部にかけてで、オク語と呼ばれる古語を用いて詩を書いていた。また彼らよりも半世紀遅れた活動を開始したトルヴェールたちは来たフランスで、フランス語のルーツともいえるオイル語による詩を書いていた。」(P241)

従来、トゥルバドゥールたちが放浪の吟遊詩人と見なされてきたが、それは違う、と指摘(P241)されています。
 中世歌曲、ルネサンス後期の牧歌劇、とくに『エルサレムの解放』を書いたタッソーによる牧歌劇『アミンタ』の成功が人気の口火といいます(P252)。それを受けてグァッリーニの牧歌劇『忠実な羊飼い』が書かれたとのことです。
それから、クラシック音楽にパストラルを取り上げ紹介しています。有名な『グリーン・スリーブス(緑の袖)』もまた、もともとはパストゥーレルの主題を受け継いだもの(P251)と指摘されていました。

 ただ一点だけ、「さらにヴィヴァルディは一七三七年ごろに管楽器による合奏曲を作品一三として出版したが、それに『忠実な羊飼い』という題をつけたのも、管楽器がもともと羊飼いの楽器であるということと同時に、グァッリーニの牧歌劇にあやかろうと考えたのは明らかであろう」(P257)。この作品は、長くヴィヴァルディの作品と信じられてきたが、1974年に音楽学者から疑義が発せられ、1989年にニコラ・シュドヴィル(1705-1782)の作品であることが突き止められています。これは訂正しておきたいです。
 ついでにもうひとつ校正の問題でしょうが、214ページの冒頭行が、前のページのアイリアノス『奇談集』の引用と連続しておらず、ピケナス出版の方がご覧になっていたら、これも正誤表があれば欲しい所です。

 さて、バロック音楽以降のパストラルは、ドビュッシーの『牧神の午後の前奏曲』、「パンの笛、またはシランクス」などもあり、読みながら、音楽の魅力が呼び起こされました。私が持っているCDからも紹介しておきましょう。
 P.O.フェルー「フルートのための3つの小品 Ⅰ.恋する羊飼い」
 ポール・タファネル「アンダンテ・パストラールとスケルツェッティーノ」
 ボザ「夏山の一日 1.パストラール」
 メンデルソーン「無言歌 5.羊飼いの訴え」
 グリーク「抒情小曲5-1 羊飼いの少年」
 他にも、ドヴォルザーク「チェコ組曲 前奏曲(パストラール)」シベリウス「ぺリアスとメリザンド 5.パストラール」などまだまだあるようです。

 トゥルバトゥールについては、早川書房のナショナル ジオグラフィック・デレクションズのW.S.マーウィン『吟遊詩人たちの南フランス』、もっと古くは筑摩叢書198のアンリ・ダヴァソン『トゥルバトゥール 幻想の愛』という書物があることを知っています。田舎での郷愁を誘う幼い恋愛だったり、つれなく満たされない片思いだったりする詩情が、私には魅力です。しかし、それだけに止まらず、差別された南仏、都市に対立する“後進化”された地方、という意味で、オク語や異端カタリ派の歴史にも興味があります。シモーヌ・ヴェイユが『オク語文明の霊感は何にあるか?』を書いたことに注目してもいます。
 そんな訳で、すごく刺激を受けた本でした。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。