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アルベルト・マングェル『読書礼賛』(1) [本]

読書礼讃

読書礼讃

  • 作者: アルベルト マングェル
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2014/05/23
  • メディア: 単行本

 この400ページを超える本を一つの読書メモに仕上げることは無謀な試みだと思う。特に、訳者あとがきにもあるように、


「初出一覧を見ると、執筆時期は古くて一九九八年、最新のものは二〇〇九年である。テーマは多岐にわたり、人種問題、ジェンダー、創造的な贋作について、社会的責任と文学の役割、テクノロジーと書物といった大きなテーマを扱うかと思うと、編集者、翻訳者、出版人の役割を具体的に論じたものもある。
 広範な話題にもかかわらず、この本を通して読むと、はからずも時間を追って著者の半生をたどることになる。」(P426)


訳者の野中邦子がいうとおり、読書についてのエッセーというよりは、読書をふくむ半生のメモワールという印象があります。共感できる言葉も多く、重いテーマ(例えば自身がユダヤ人であること)も多数含んでいて、さらっとながしてはいけない本だろうと思います。前著『図書館 愛書家の楽園』は読んだもののまだ取り上げていませんが、この『読書礼賛』を丁寧に記しておきたいと思います。

「人は世界に足を踏み入れたとたん、あらゆるものに物語を見出そうとする。風景、空、他人の顔、そしていうまでもなくわれわれ自身が生みだしたイメージと言葉のなかに物語を見出す。」(P9)
「…私たちがこうあるべきだと信じる本の姿は読むたびに変わる。長年のうちに、私の経験、趣味、先入観は変化してきた。…「万物は流転する」というヘラクレイトスの名言は、私の読書にもあてはまる。「同じ本を二度同じように読むことは出来ない」」(P10)

「G.K.チェスタトンはあるエッセイでこう述べている「どんな本でも、一冊の本がそのためだけに書かれたと思わせるいくつかの言葉がある」。」(P39)

 この言葉は、著者の意図を直感的に感じるものがある、ということなのでしょう。
 大池文雄『水戸コミュニストの系譜』で、「安東仁兵衛の「戦後日本共産党私記」を読んで、もしかしたらこの本は査問・リンチ事件の、この一章を書くために書かれたのではなかったか、そこに隠されたキーがある、と私は思った。…しかしこの本はその目的を達しただろうか。ひとをも自分をも傷つけないように用心深く書かれた綴り方。この懺悔は果たして彼に解脱を齎しただろうか。」(P54)
 「論文とりわけ博士論文というのはなんと奇妙な形式だろう。…重要なことは数行で書けるのに、そのために数百ページを要し、しかも各章に数十の注を付す。権威主義の典型だろう。…もし真の反抗が起こるとすれば、それはアカデミズムの作法に精通し、その矛盾と空しさを徹底して味わった人たちの間からではないだろうか。」とは、西川長夫の『植民地主義の時代を生きて』のあとがき(P580)。
 「…学者たちの書くものはどうしてあんなに分厚いのですかねえ?いうことがあまりない時、人々は無理やりことばを積み上げようとするからながくなるんじゃないかしら?私の考えでは、人間に関する思想で二百語以内で表現できないことなんてそんなにないと思うんですが、あなたはどう思いますか?」とはエリック・ホッファー『百姓哲学者の反知識人宣言』のことば。
 本は、人のためというよりも前に、まず《商品》にならなければ、本になることすらないのでしょうか?
 マングェルは違う箇所で、フローベールの言葉として「長い本はいつも真ん中あたりのページでうんざりしてしまう」(P190)と紹介しています。

「…どれほど勤勉に努力しても、目的が高尚でも、よき相談相手がいても、水ももらさぬ調査ができても、痛ましい経験があっても、古典の教養があっても、音楽を聴く耳があっても、文体の趣味がよくても、良い文章がかけるとはかぎらない「ペンはない、インクもない、テーブルもない、部屋もない、時間もない、静けさもない、やる気もない。」とジェイムス・ジョイスは一九〇六年十二月七日、弟に宛てて書いている。まさにそのとおりだ。」(PP40-41)

 『ユダヤ人であること』では「私はユダヤ人なのか?私は何者なのか?」(P47)とアイデンティティの危機がにじみ出る文章。


 「どんなジャンルも成立と同時に前史が生まれる」(P53)
 「ジュネは、抑圧者には絶対に譲歩してはならないということを肝に銘じていた。」(P56)
 「ジャン・コクトーがジュネの『花のノートルダム』の原稿をポール・ヴァレリーに見せようとしたとき、ヴァレリーは「そんなものは燃やしてしまえ」といった」(P57)
 「ブエノスアイレスの高校を卒業してから、…パリとロンドンですばらしい十年を過ごした。…図書館では…暇つぶしのために何冊か本を借り、最後まで読みとおすことはまれだった。方針もなく、知識にもとづいた秩序もなく、義務感もなく、厳密な探究心もない。それが私の読書体験だった。体と同じく、心もさまよっていた。」(PP65-66)
 「一九七〇年十一月、私が穏健なるアナキストになったのはこういうわけである。」(P71)

 第1章「私は誰?」をしめくくる『プロメテウス頌』は2ページほど、短いながら「その問題は古代からのものだ、と私の書斎が教えている。」(P72)と書き始められ、マングェルの問題意識を要約している重要な文章です。

 第2章「巨匠に学ぶ」は、ボルヘスについてのエッセイがまとめられています。


 「若いころボルシェビキ革命賛美の詩を書いたことに後悔の念を抱いていたボルヘスにとって、共産主義は憎悪の的だった。」(P79)
 「ペロン政権下のアルゼンチンで、ナチに反対する意見をはっきりと述べた数少ない知識人のひとりがホルへ・ルイス・ボルヘスだった。」(P101)「彼は政治を嫌い(「人類の行為の中で最も悪辣だ」)フィクションの真実を信じ、真実の物語を伝えようとする人間の能力を信じたのだ。」(P104)

 ボルヘスの作品の魅力を伝える文章がありますが、これらは読んでいただきましょう。

 第3章「覚え書」で、チェ・ゲバラを評し、「チェは私たちが見たのと同じものを見た。私たちが感じたのと同じことを感じた。「人間の境遇」が根本的に不公平であることに怒りを覚えた。だが、私たちとちがって、彼はそれをなんとかしようとして行動した。」(P127)その結果については、疑問を記しています。


 「ドン・キホーテがいうように、不正行為のほとんどは、責任をとるべき人びとが結果を引き受けずにすむとわかっているからなされるのだ。」(P156)
 「隠喩は隠喩の上に、引用は引用の上の築かれる。人によっては、他人の言葉を引用の源泉と見なし、それによって自分の考えを表現する。また別の人びとにとっては、他者による言葉が自分の考えそのそものであり、他人が考え出した言葉を形だけ変えて紙の上に並べ、語調や前後の脈絡を変えることで、まったく別のものにつくりなおす。このような連続性、このような盗用、このような翻訳作業がなければ、文学は成立しない。そして、このような作業を通して、文学は永遠性を保つ。周囲の世界数変化するなかで、飽きもせずに寄せては反す波のように。」(PP168-169)


 このことを、第2章でボルヘスが愛読したサー・トマス・ブラウンのことばを紹介していました。


 「どんな人も、その人だけの存在ではない。これまで大勢のディオゲネスが生きてきたし、同じぐらい大勢のティモンがいたが、名前が残るのはごく少数である。人は何度も生きなおす。いまの世界は、過ぎ去った時代の世界と同じだ。過去に同じ人間がいたわけではないが、同じような人間はつねに存在した。その人間の本質はいまも昔も変わらず、何度もよみがえる。」(P92)

 後半は、次回にしましょう。


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