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スーザン・ソンタグ 『私は生まれなおしている-日記とノート1947-1963』 [本]

 スーザン・ソンタグ(1933-2004)が残した日記やノートを三部作に編纂した第一冊です。私は、こうした思考錯誤の営み、断片的な思索、知的な探究心(読むべき本のリスト)に触れるものが、励まされるところがあって好きです。それが自然な状態だ、と思うからです。洗練されて仕上げられたものの良さは、その還元触媒に触れてなくてはならないからです。

私は生まれなおしている---日記とノート 1947-1963

私は生まれなおしている---日記とノート 1947-1963

  • 作者: スーザン・ソンタグ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2010/12/18
  • メディア: 単行本
・・・「すべてを知らなければならない」は、スーザン・ソンタグの標語だったとも言える(編者まえがき)

「私はもう一度、自分で生まれなおす。」

「・・・一瞬一瞬を充実させないままやりすごすよりは、激しさと過剰の側に立ってあやまちを犯すほうがいい・・・」

「ダディがハンカチのたたみ方を見せてくれる。私はシャワーに行きかけるM(母親)に、ユダヤ人じゃなかったほうが良かったと言う。」

「・・・真理の対応理論が待望されているが、われわれは道徳の一貫性理論で満足するかもしれない」

「ロイス・ホールにて:「世界は複数の解釈によって漸次的に実現していく共同体である」。」

1957年の9月の最終週と10月の第1週にかけて、スーザン・ソンタグがジェイン・デグラスとイタリアへ休暇旅行に行ったことが記されている。デグラスは、歴史家E・H・カーを手伝い、英国国立国際問題研究所に席をおき、『コミンテルン・ドキュメント 1919~1922』の編著者です。

「あらゆる表明は真実か偽りかに選り分けられるべきではない。些事にこだわってそうすることはできる。でも、そうしたら、意味の大半は剥落してしまう。」

 人は、生きてる間にさまざまなことを語り表明します。数理(体系内の無矛盾)ではないから、違和的なものを、誤りを全体の中に幾分かを含むときが誰にもある。無矛盾・無欠点ではいられない。むろん寛容さで、それをすくい上げる必要性がある。しかし、いつもそこに問題がひそんでいて、周りが、ある意図を持った(政治的)審判がおこなわれることがある(これと戦う勇気が、24歳のスーザン・ソンタグほどもあるだろうか?)。逆に、それと同じ程度の卑劣さとならないよう己の非は、どんな形であれば-坊主ザンゲでも、居直りでもなく-認められるのか、ということも大切な問題です。

「俗物性、あるいは「内向性の代わりに文化で埋め合わせをする」」

「ヘブライ語・・・yada(知り合いである―性的に)―動詞、つまり、性交した仲」

「・・・私の愛はあのひとを全面的に取込みたい、食べてしまいたい、と欲している。私の愛は利己的。」

「―言葉を書き写す(例えば、フランス語)
 ―イギリスの週間雑誌の切り抜き
 ―本を買うこと、蔵書を並べなおすことの快楽にひたる」

・・・こうした人間としての赤裸々なメモが、数多く刺激を与えてくれる、そんな一冊です。
エッセイ「ボルヘスへの手紙」(『書くこと、ロラン・バルトについて』所収)で、書物と人間のかかわりを読んでから、スーザン・ソンタグを知りたかったので、親近感を持てる本でした。


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