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読書の後に イェイツが。 [本]

 書物以前のところを書いたから、そうした書物の読書の後に、を続きとしましょう。(本当は新刊を一冊読み終えているから、それを取り上げてもいいのですが、そんなに飛ばさなくてもいいでしょう。 )
イエーツ詩集 (海外詩文庫)

イエーツ詩集 (海外詩文庫)

  • 作者: W.B. イエーツ
  • 出版社/メーカー: 思潮社
  • 発売日: 1997/08
  • メディア: 単行本
イェイツの詩に『老人どもが怒り狂ってはわるいか?』というウィットの効いてる詩があります。

老人どもが怒り狂ってはわるいか?
長生きをするうちには、確かな蚊鉤釣師の
手首をしていた好ましい若者が
酒喰らいのジャーナリストに変わるのも見る、
端から端までダンテを読んだ娘が
やがて馬鹿に子供を生まされるのも見る、
ヘレネーのような美女が社会の福祉とかを
夢みて荷車によじ登り、金切り声で喚(わめ)くのも見る。

運しだいでは善人が飢え死にもするし、
悪人でも出世するのが世の常だと思い知る。
光をあてた幕に影がうつるように、
身辺の者らがくっきりと姿をあらわしても、
断ち切られずにすむ幸福な精神のお話なんぞ、
出発にふさわしい結末なんぞ、ただのひとつも
見当たらぬのが世の習いだと知っている。

若者たちはこういう話を何ひとつ知りはすまい。
じっと世間を知りぬいた老人どもは知り抜いている。
若者たちが古い書物の語るところを知るときに、
それよりいい目にあうはずないのを知るときに、
老人が怒り狂うわけをさとるのだ。

 読んだダンテはどうしたの? もちろん私は、この詩を老人の目線で、ほくそえんで読むわけですが、
von-gebhart-eduard.jpgしかし、快楽と冷笑と怒りは、どちらの側にもあるはずだ、思えてならないのです。

 問題は、書物が幸いしているのでも禍しているのでもなくて、何を持って充実した生とするか、だと思います。

 そんな“もがき”を、冒頭述べた一冊の本、スーザン・ソンタグ『私は生まれなおしている-日記とノート1947-1963』に紐解きたいと思ってます。


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