ガンの宣告と読書(時間)などについて [ガン闘病記]
ガンの宣告を受けたときは、昨年に家内の叔母が、やはり末期の肺がんで、発見から半年でなくなったため、もしかしたら自分も短命で、この蔵書の全部は読みきれないのか、と愕然とした気分になりました。読む時間があるとすればどの本を読むか? 根拠があって選ぶことの出来た本は結局なかった、と告白します。いや読むことより、自分なりに何か書き記すことが大切ではないか? また、クラシック音楽も改めて聴く時間がどれだけあるのか? モノとして持っていることとそこに向き合える自分の使える時間を深刻に考えました。天秤にかけるというよりもたどり着けず、引き離される感覚です。寓意絵画にみる書物とドクロ、「死を思え」という教訓そのままの感覚です。
術前に肺の切除のため、肺活量が25%ほど落ちると言われていたことですが、実際には、手術をして1ヶ月たちますが、術前の肺活量からすると50%程度しか回復しておらず、酸欠気味。鎮痛剤の影響もあるのでしょうが、貧血症状のように頭がボーっとしてしまい、集中力が続かない。腹式呼吸で酸素の取り込みを増やすべきなのは判っているのですが、痛みのせいか肺だけの浅い呼吸になりがちなので、どうしてもハァハァしてしまう。気づいて深呼吸しても、既に体が酸欠になっているため、一度横になって軽い睡眠をとり、体の酸素消費量を押さえ、脳に酸素が回るようにしないと、ボーっとした状態を回復できない。
仕事を休んでたっぷりと時間があるのに、活動の非効率は避けられないのが惜しい。
まぁ、あせらずもっと生きている時間を素直に楽しみたいとも思います。
娘が来週に伊豆の温泉を手配してくれて、湯治をかねて家族でゆっくり旅に出かけることを、楽しみしています。
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