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中神美砂『令嬢たちの知的生活-十八世紀ロシアの出版と読書』 [本]

このユーラシア・ブックレットは、気になるテーマを取り上げているので、ついつい気にかけてしまい、これまでも何冊か購入しました。
     アルメニア近現代史-民族自決の果てに
     ロシア史異聞
     十九世紀ロシアと作家ガルシン-暗殺とテロルのあとで
     アレンスキー-忘れられた天才作曲家
     スターリンの赤軍粛清

令嬢たちの知的生活―十八世紀ロシアの出版と読書 (ユーラシアブックレット)

令嬢たちの知的生活―十八世紀ロシアの出版と読書 (ユーラシアブックレット)

  • 作者: 中神 美砂
  • 出版社/メーカー: 東洋書店
  • 発売日: 2013/05
  • メディア: 単行本

今回は、令嬢たちの知的生活。

「ピョートル一世が実施した一連の近代化・西欧化政策の中で、ロシア女性の立場に大きな影響を与えた三つの政策がある。」(P7)として、第一に女性の相続・財産権を持てるようにした。


「18世紀において女性が財産権を持っていたのは、西欧諸国の中ではロシアだけだった。」(P8)

第二に公式の祝宴や夜会への夫人及び娘の同伴命令。
第三に女性が教育を受けることが出来るようにした。

 十八世紀後半の教養女性の代表ダーシコワは、回想録で「十九歳の結婚当時、私は九百冊の蔵書を持っていました」という。「印刷された書籍の価格は高く、購入できたのは裕福な上流貴族などに限られていた。書籍一冊の平均価格が1ルーブルで、この金額は一ヶ月の労働者を雇うのに十分な金額だった」と文化史家クラスノバーエフは語る。

 ダーシコワの死後、蔵書カタログによると、フランス語書籍1650冊、ロシア語書籍1353冊、英語書籍520冊、ラテン語書籍453冊などで、雑誌を加えると総数は4500冊以上に及んでいる(P26)、ということです。素晴らしい。
 在ロシア・フランス大使のセギュール伯爵は、1780年代のペテルブルグの貴族社会の女性について、「女性は向上の道において男性よりずっと先を進んでいます。上流社会において出会った多くの夫人や子女は美しく着飾るだけでなく、四つか五つの言語を話し、しかも様々な楽器を演奏でき、フランス、イタリア、イギリスの有名な作家の作品を読んで知っています。」と教養の高さを評価しています。(P34)

 教養ある女主人を中心にした社交形態のサロンについて紹介されています。(P48)
 こうしたサロンが、進歩的な青年貴族の反乱(デカブリストの乱)のように体制と対立することがあっようです。

 このデカブリストの反乱について言及している本がありました。田中克彦『シベリアに独立を!』で、1825年、


「首都ペテルブルグの元老院広場で若い貴族の子弟たちを含む知識人たちが専制と農奴制の廃止を求めて立ち上がった。蜂起は簡単に鎮圧され五人の首謀者が絞首刑を執行され、121人がシベリアに送られた。・・・夫だけをシベリアにやらせるわけにはいかないというので、若い妻たちの知られているだけでも11人もが貴族の身分を捨てて夫を追ってシベリアに向かうことを願い出て許され、それぞれ運命をともにした。再び首都に戻ることなくシベリアの流刑地で果てた・・・」(P4)
「十九世紀中頃、最も人気のあった詩人ネクラーソフの、夫を追いかけて、中にはフォンヴィージナ夫人のように二人の幼児を置いて、困苦の待つシベリアへ向かった・・・皇帝は妻たちがシベリアに行くことによって生ずる社会的動揺を恐れて、道中要所の役人たちに命じて何とか思いとどまらせようとするが、妻たちは役人に向かってこう答える。
     たとえ死ぬさだめであろうとも
     少しも悔いはございません・・・
     わたしはまいります! まいります! わたしは
     夫のそばで死なねばなりません。(『デカブリストの妻』岩波文庫P54-55)」(P6)

 「ペテルブルグで最も機知に富んだ、学問の香り高いサロンはカラムジナーのサロンである。・・・ペテルブルグに住む有名人や才能豊かな人は毎晩カラムジナーのサロンを訪れた。心温まるもてなしであったが、非常に簡素だった。」(P56)
 「彼女のサロンの常連は、作家ジュコフスキー、プーシキン、レールモントフ、ホミャコフ、ツルゲーネフだった。彼女のサロンは通常十時に始まり、夜中の一時、二時まで続いた。平日は八人から十人ほどが集まり、日曜日にはより多くの人が集まった。サロンは地味で、赤い毛織物で覆われた家具があった客間で、出されたものは、とても質素で、濃いお茶と濃厚なミルクと、バターがついたパンだけだったとされる。しかし、このサロンは誰からも愛されていた。」「カラムジナーのサロンから出てきた人たちはまるで生き返ったように、生き生きしている」「カラムジナーのサロンでは話のテーマは哲学的な問題ではなかったし、ペテルブルグのつまらない噂でもなかった。ロシア文学と外国文学、そして我が国とヨーロッパの重要な出来事が話の話題だった。・・・私たちの心と耳を生き返らせ、豊かにしてくれた。それは当時の息苦しいペテルブルグの雰囲気の中では特に有益だった。」と、暖かく、愛らしい、高い倫理観のある家としている。(P57)


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