エリック・アザン『パリ大全 ーパリを創った人々・パリが創った人々』 [本]
- 作者: エリック・アザン
- 出版社/メーカー: 以文社
- 発売日: 2013/07/22
- メディア: 単行本
この本は、何をキーとし読み解かれる本だろうか。
冒頭の短めの章で「境界の心理地理学」が立てられているが、といって、それが学説のような厳密な定義づけが行われるでもありません。
“プールヴァール”(堡塁)という、パリを囲う壁が設けられて、旧パリ・新パリ区分する。さらに、中心部に対して周辺部という意味で、新パリを“フォブール”という城壁が区分するという。そして、さまざまな街区を人々と建築物の歴史と文学の記述の中から掘り出していく。
パサージュ論を書いたベンヤミンがよく参照もされる(P51-53)。そんな風に、街区、通りを訪ね歩き、いにしえの由来、そこに誰が住んでいたか、どんな景色を見たか・・・を詳細に、記述している。
ですが、半分以上を占めている第一部は、かつて住んだことがあったり、行ってみたことがある人には、イメージしやすいかもしれないが、読んでつかむ事は難しい、と感じました。豪華本ではないが、図版や写真などを多用して、一般的な読者にイメージしやすくすれば、と感じました。
第二部は、赤いパリ。
パリ・コミューンの“バリケード”がテーマです。
本文では、ダニエル・スターンのサン=ドニ門での戦い(P275)を記しています。このダニエル・スターンとは、マリー・ダグー伯爵夫人のことです。
このサン=ドニ門の図版は、喜安朗『パリ-都市統治の近代』のP11で見ることが出来ます。
この同じ戦いをヴィクトル・ユゴーが『見聞録』で記していました(原注XLI *102)。この戦いは印象に残りましたので、本文のダニエルではなく、原注のユゴーの文をここでは採録しておきましよう。
「国民軍は恐れというよりも苛立ちから,猛然と襲いかかった.このとき,ひとりの女性がバリケードのてっぺんに姿を現した.若くて美しく,髪をふり乱して恐ろしい形相をしていた.娼婦であったこの女性はドレスを腰までまくりあげて,国民軍に向かって売春宿の醜悪な言葉使いで叫んだ.これは次のように翻訳しておかねばなるまい.「卑怯者めが,女の腹めがけて撃てるものなら撃ってみろ!」.ここで,事態は恐るべきものとなる.国民軍は躊躇しない.国民軍の部隊から発砲された弾でこの哀れな女は裏返しになり,大きな叫び声をあげながら倒れる.すると突然もうひとりの女が姿を現す.この女はさっきの女よりも若くさらに美しかった.それは17歳にも満たないだろう子供のようだった.なんという哀れ!彼女もまた娼婦だった.彼女はドレスを引き上げ,腹を見せながら,こう叫んだ.「悪党ども,撃つなら撃て!」.さっきと同じように銃声が響いた.銃弾で穴のあいた彼女のからだが,さきほどの女のからだの上に崩れ落ちた.こうしてこの戦争は始まった.」
- 作者: ドラ・トーザン
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/06/05
- メディア: 文庫
ドラ・トーザン『パリジェンヌのパリ20区散歩』でも、この歴史の歩みを、さりげなく記していました。
「・・・区とは、やや恣意的で、しかも比較的歴史の浅いわけ方です。実際、昔のパリは、いくつもの村で構成されていました。その後、オスマン男爵が-多くのパリ市民の批判浴びつつ-パリの表情を一変させました。彼はパリを横切るアヴェニューやブルヴァールと呼ばれる大通りを建設し、現代のパリの基盤を作りました。革命派のバリケードに対して、警察や砲兵隊の行動をスムーズにするため、昔からある狭い通りは壊され、大きな幹線道路が作られました。・・・パリの新しい境界線が描き直されました。そして1860年、パリは20の区に分けられ、ついにオスマン男爵の一大事業は完成を遂げたのでした。」(P16-17)
このオスマン男爵のパリ大改造について、デヴィット・ハーヴェイも『反乱する都市』で記述(P31)してました。
(ハーヴェイには『パリ-モダニティの都市』もありますが、私は読んでいません。)
第三部は、雑踏のパリ。
ここで、ボードレールや印象派の絵画やアジェ(Jean-Eugene Atget)の写真などが、取り上げられています。
文学、絵画、写真が取り上げられる割に、音楽がないように感じました。
大革命期の「マルセイエーズ」もあっただろうし、
- アーティスト: イゾワール(アンドレ),モワロー,ラスー,シャルパンティエ,コレット,ルジェ=ド=リール,バルバトル,カルビエール,セジャン,ダカン
- 出版社/メーカー: キング・インターナショナル
- 発売日: 1995/04/21
- メディア: CD
街角では、シャンソンの歌声もあったのでは・・・と思いました。
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