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小笠原豊樹『マヤコフスキー事件』の「運命」について [本]

少し変わった構成の本でした。
マヤコフスキー事件

マヤコフスキー事件

  • 作者: 小笠原 豊樹
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/11/19
  • メディア: 単行本
 映画でいう初めのつかみのように、まず、1930年4月14日に事件が起こります。それから、ミステリーのように事件の因果関係を暴いていきます。
 マヤコフスキーの最期に一緒だった、「ポロンスカヤの回想記」1938年の60ページが挿入されている。
最後にも「年譜風の略伝」が60ページほど付いていて、320ページほどの本の三分の一が資料という体裁なのだけれど、文章の展開は、ミステリー仕立てで、証言を集めて語る展開になっています。
 ロシアの未来派の詩人の死というより、ありがちな「マヤコフスキーと女たち」とした方が、しっくりしたかもしれません。

1930年1月21日にマヤコフスキーの「運命」が決まった(P152)、というこの事件の話を紹介しています。

 自殺か、そうではないのか、真相に迫る証拠を積み上げています。
詩人マヤコフスキーだけでなく、その周辺での無残なおびただしい死を知ることなる。
演劇家メイエルホリドとジナイーダ・ライヒ夫人の恐ろしい死にまつわるショスターコヴィチの証言。
粛清の嵐。政治的な意味づけや、社会的な打撃ということから、この事件を読むことは出来るのですが、読みながら、もっと違った感触を覚えました。

 早咲きの恵まれた才能を、賞賛と名声がその頂点にまで押し上げる。
この状況に立ち現れる意志を持った“女たち”の何がしか、そして最期を記し、記憶することも必要です。

 しかし、恵まれた才能を発揮すること、または、類まれな能力であることを証明するために発露される力能とは何か?
類まれな能力とは、自身が明かす(群集に依存しない)自明のことなのか、
それとも、賞賛で群集が讃えること(群集への依存によってしか発見されない)なのか、その《由来》は何か?
 あらゆる一つ一つのものごとが、唯一無二の固有のものであるなら、それ自体が均質性(民主主義)を持ちながら、他と区別されて際立たされることが、既に政治である、というほかない。となれば、名声とは、政治力の賜物であり、造形物であり、道具となるほかない。高揚と失墜の“放物線”を描くものだ。
高揚期、言い寄ることも、言い寄られることも、その時を生きている自身にはどんなコントロールが出来ただろう。
失墜期、何が起こっているのか、どこへ押し流されるか、自分の才能とは?、と自らに問いかけたことだろう。かんしゃくを起こして「自分は何者か」を問いかけもしただろう。

1930年1月21日にマヤコフスキーの「運命」が決まった。

36歳、ロシアに彗星のごとく走り去った命。
世界を席巻する力は、「運命」によって滅ぼされるのか?逆に、彼はその「運命」を変えることも出来たのか?
いや、運命の方が、社会の中に「マヤコフスキー」を産み、死を与えたののだろうか?


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