身辺の近況ことなどと、昔の一冊 [本]
明けましておめでとうございます。
一昨年、(終の棲家にすべく)転居したものの、仕事も続くことになり、通勤のために時間を費やす結果となりました。
転居で本を運び、荷解きをしました。読んだ本もありますが、読みきれず積読のままの本も、整理ダンボールから戻されてあふれかえっています。捨てなければならないことは判っているのですが、青春時代の思い出も詰まっていて、簡単に捨てられない。いつかそうしようと思うが、今ではないかなぁ。
ブログの更新もままならなくなっています。読む量はさほど変わっていませんが。といって読むものすべてが、いい本でもなかったりするわけですし、勉強のつもりで読んでいる難解なものまで紹介するわけにも行きません。まあ、“気まぐれ”と銘打って始めたものですから、気長にお付き合いください。
ずっと以前買ったまま整理ダンボールにしまわれた一冊から、久々に日の目をみた記念に、一冊紹介しておきましょう。
社会思想社の教養文庫(1985年刊-もう28年経ったのか・・・)に、長田順行著『暗号』という文庫があります。
ウエルズは、その『世界史』に、「文字は、それが発明されたとき、初めのうちは関係の人だけの秘密通信に使われていた」と書いている。(中略)・・・われわれは漢字、平仮名、片仮名、ローマ字を知っているが、これ以外の記号で書かれたものを読むことはむずかしい。
(左のスキャン画像が、本文に掲載された暗号)
これは、平田篤胤(あつたね)(一七七六-一八四三)の「神字日文伝(かみのひふみでん)」に出てくる神代文字で、“このみちより われをいかすみちなし このみちをあるく”というよく知られた文章なのである。(P142)
しかし、韓流で韓国語を学ばれる方が少なくない昨近、デフォルメされた韓国文字(筆順の問題なのか、中にあるべきものが下に行ったり、下にあるべきものが右に置かれたり、字がデフォルメされているが、9割は韓国文字と言える)を、音読みで日本語を表記したものに過ぎないことは、ご覧の通り明白です。
暗号とか、神代文字という神秘化される代物ではない。暗号解読というより、平田篤胤と朝鮮の関係がより解き明かされるべきかもしれません。 こんな文庫まである、という近況のお話でした。
今年は、出るだけブログも更新できる年にしたいものです。
皆様も良いお年をお迎えください。
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