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気づいたら、肺腺がんでした。 [ガン闘病記]

 今年の3月の中旬あたりから、朝の歯磨き中、血痰が出るようになり、おかしいな、と感じていました。
といっても、食欲も普通で、多少息が切れるようになったかな?という程度で、異変らしいものは何も感じることはありませんでした。昨年7月に会社の健康診断で胸部エックス線も撮っていましたが、異常はなかった。ただし、これはあとづけ話ですが、私の場合、癌の出来た場所が、心臓から消化器臓器へと密集した血管があるゾーン(エックス線では白く映る)の裏側に病変があり、もしかすると昨年の健康診断にも写っていた可能性はあるが、場所が場所だけに専門家でも見落とす可能性がある(もっと違う場所なら小さいうちに発見できたかも、と言うことらしい)。むしろ、専門医からこの段階で「どうして(異変が)分かったのか?」質問を受ける状態でした。健康診断を受けているから大丈夫という考えは、要注意だと思いました。
 仕事の都合で、4月にはいってから市民病院を訪ね、CTスキャンを撮ったら、右肺に6センチほど大きな空洞が出来ていました。血液検査での腫瘍マーカーの値も、少し高い(5以下なら正常)程度で、ガンという断定も出来ず、結核の可能性もありということで、痰の検査しました。結果は、結核ではない、といことになり、市民病院ではこれ以上詳細な検査が出来ないので、大学病院を紹介するから、と病院を変えて検査を4月に受けました。
 4月下旬に肺の内視鏡検査をし、5月初ゴールデンウィーク明けに検査結果がでて、肺腺がん、という結果。呼吸器内科から呼吸器外科に変わり、確実には6月に入ったら手術が出来るが、5月中でどれだけ早められるか検討する、という話でした。
幸い5月20日に手術が可能ということで緊急入院しました。
 当初は肺腔鏡による施術で出来るということだったので、簡単な手術で10日もすれば退院も可能だろう、と気軽に考えていたのですが、手術の前日の担当医の説明で、患部である肺(右下葉)に加えリンパ節郭清(かくせい)(D2)の切除が必要という判断がありました。
結果、開胸手術で、あばら骨2本、リンパ節郭清のため、気管も一度切断して再結合という、大きな手術(全身麻酔で5時間)を受けることになりました。
 入院2週間ほどののち退院、組織の病理検査が済み、最終的にステージⅢA、という判定(7段階中の5)が6月中旬にでました。

 入院中、大きな病院でしたので、呼吸器外科だけの病棟でも、多くの患者さんがいらっしゃいました。また次から次に術前、術後の患者さんがいらっして、決して他人事ではないのだなー、と実感しました。また、癌だけではなく、他の人工透析や糖尿などの持病がある患者さんもいて、生活習慣ということも含め、健康をいろいろ考えさせられることが、多かったです。
私は、他への転移がないので、この後、抗がん剤治療をするかはこれから呼吸器内科医の診察を受けながらです。治療をするにしても、今は、術後の体力回復努めるという指示のもとで日々を過ごしています。食が細り体重も落ちて、3~4時間起きていると一度横になってリセットしなくてはならず、現在は、日常生活もつらい、というのがホンネです。

 闘病記なことも話題の一つとして書くようにしたいと思いますが、末期といわれるステージⅣの方のブログもあったりするので、あまり病気にとらわれ過ぎず、免疫力を高めるお気楽な話題に努めながらの闘病記にできたらいいなぁ、と思っています。


千野境子『インドネシア9・30クーデターの謎を解く-スカルノ、スハルト、CIA、毛沢東の影』 [本]

歴史ドキュメントで、マヤコフスキー事件、白鳥事件、黒川創『暗殺者たち』を読んできたのですが、

「1965年10月1日未明、インドネシアの首都ジャカルタ。時のスカルノ政権転覆の動きを阻止するとの名分で陸軍左派がクーデターを起こす。陸軍戦略予備軍司令官スハルトは直ちにこれを鎮圧、クーデターの影の主役だとしてインドネシア共産党(PKI)を一掃する大弾圧を行い、結果、夥しい数の犠牲者が出た。・・・」

というインドネシアの9・30事件についての話。

インドネシア9.30クーデターの謎を解く: スカルノ、スハルト、CIA、毛沢東の影

インドネシア9.30クーデターの謎を解く: スカルノ、スハルト、CIA、毛沢東の影

  • 作者: 千野 境子
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2013/09/28
  • メディア: 単行本


 これに先立つこと、「オランダとの独立戦争のさなかの1948年9月18日、PKIなど人民民主戦線と国軍の一部が反乱を起こし、ジャワ・ソビエト共和国を樹立した。しかし革命政府はまもなく倒れ、PKIは壊滅的な打撃を受けた。」マディウン事件なるものがあったことを知りました。
 また、この事件を題材にした映画『危険な年』(1984年、オーストラリア。主演メル・ギブソン、シガニー・ウィーヴァー)がありましたが、このタイトルが、スカルノ大統領の1964年(9・30事件前年)に行った独立記念日の演題ということを知りました。この演題は、古今東西の書物引用をするスカルノが選び、元はイタリア語であるそうです。
 オランダからの植民地解放後、国内危機を外に向ける対マレーシア政策が事件の呼び水になっているようです。連邦国家マレーシアの背後にはイギリスが黒幕として控え、東南アジアにおける影響力を強めるものとし、対決色を強める中で、事件が起こる条件があったようです。
 インドネシア共産党の創設にかかわった人間として、植民地宗主国オランダ人のヘンドリック・スネーフリートの名が記されていました(P109)。彼こそマーリン(馬林)という偽名でコミンテルン代表として中国共産党の設立にもかかわっています。この時代の活動は、波多野善大『国共合作』(P39)で詳しく書かれていて、

国共合作 (1973年) (中公新書)

国共合作 (1973年) (中公新書)

  • 作者: 波多野 善大
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1973
  • メディア: 新書

孫文らとも交渉しています。後にはトロツキーと反対派を形成したり、最後はオランダに侵攻したナチスへのレジスタンス運動を行い、つかまってインターナショナルを歌いながら絞首台に向かったそうです。
 もう一人、スハルト政権下で国連総会議長も勤めたことがあり、最後は副大統領になったアダム・マリクのCIAのスパイ説。もともとマルクス主義者だったが、駐モスクワ大使を務め、共産主義社会を現実に体験した。そこで共産主義への幻滅が生まれたという。「かつて共産主義に傾倒したとしても、ソ連勤務の結果、これはインドネシアが従うべき道ではないと私は確信した。」現実に触れた者だけが知ることの出来た早い覚醒だったのでしよう。

 陸軍左派のクーデターによって殺害された7人の将軍たちへの赤色テロ(P124)もだか、アメリカの黙認によってスハルトによる白色テロが暴君のように暴れまわった(P198)。民謡『ブンガワン・ソロ』の甘い旋律で有名なソロ川は「人々の血で真っ赤に染まった」という。
 この本では、この凄まじさがわからないので、ヴィジャイ・プラシャド『褐色の世界史』(バリ-共産主義者の死)から補っておきます。

褐色の世界史―第三世界とはなにか

褐色の世界史―第三世界とはなにか

  • 作者: ヴィジャイ プラシャド
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2013/03
  • メディア: 単行本
    •  
        •  
            •   「この65年から66年の共産主義者狩りで、バリ島の人口は8パーセント、約10万人減少した。・・・この事件について訪ねられた生存者は、恐怖のただ中の光景を思い起こしている。」「通りという通りが肉片や内臓や血で一杯になり、河川は氾濫して死臭を漂わせた。」(P187)「この虐殺に対する怒りの声は、世界中のどこからもほとんど聞こえてこなかった」(P188)
               
          •  なぜ、こんなことが起こってしまったのか?
             千野氏はしずかに取材をすすめ、「第五章 毛沢東の扇動」という章にいたる。そこに中国の世界革命戦略がすえつけられているとのことです。詳しくは、本を読まれたし。
             それにしても、事件の“犯人探し”に関心が行き過ぎた。クーデターはインドネシアの伝統的人形影絵劇ワヤンなのでしょうか? 劇中の影を映す人形とそれを操る人間の姿。そんな左翼冒険の劇としても、現実は、血まみれの観客がどれほどいたのか、私の関心はそちらに流れてしまいます。

エリック・アザン『パリ大全 ーパリを創った人々・パリが創った人々』 [本]

パリ大全: パリを創った人々・パリが創った人々

パリ大全: パリを創った人々・パリが創った人々

  • 作者: エリック・アザン
  • 出版社/メーカー: 以文社
  • 発売日: 2013/07/22
  • メディア: 単行本

 この本は、何をキーとし読み解かれる本だろうか。
冒頭の短めの章で「境界の心理地理学」が立てられているが、といって、それが学説のような厳密な定義づけが行われるでもありません。
 “プールヴァール”(堡塁)という、パリを囲う壁が設けられて、旧パリ・新パリ区分する。さらに、中心部に対して周辺部という意味で、新パリを“フォブール”という城壁が区分するという。そして、さまざまな街区を人々と建築物の歴史と文学の記述の中から掘り出していく。
 パサージュ論を書いたベンヤミンがよく参照もされる(P51-53)。そんな風に、街区、通りを訪ね歩き、いにしえの由来、そこに誰が住んでいたか、どんな景色を見たか・・・を詳細に、記述している。
 ですが、半分以上を占めている第一部は、かつて住んだことがあったり、行ってみたことがある人には、イメージしやすいかもしれないが、読んでつかむ事は難しい、と感じました。豪華本ではないが、図版や写真などを多用して、一般的な読者にイメージしやすくすれば、と感じました。

第二部は、赤いパリ。
 パリ・コミューンの“バリケード”がテーマです。
 本文では、ダニエル・スターンのサン=ドニ門での戦い(P275)を記しています。このダニエル・スターンとは、マリー・ダグー伯爵夫人のことです。

マリー・ダグー―19世紀フランス 伯爵夫人の孤独と熱情

マリー・ダグー―19世紀フランス 伯爵夫人の孤独と熱情

  • 作者: 坂本 千代
  • 出版社/メーカー: 春風社
  • 発売日: 2005/06
  • メディア: 単行本

このサン=ドニ門の図版は、喜安朗『パリ-都市統治の近代』のP11で見ることが出来ます。

パリ 都市統治の近代 (岩波新書)

パリ 都市統治の近代 (岩波新書)

  • 作者: 喜安 朗
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2009/10/21
  • メディア: 新書


 この同じ戦いをヴィクトル・ユゴーが『見聞録』で記していました(原注XLI *102)。この戦いは印象に残りましたので、本文のダニエルではなく、原注のユゴーの文をここでは採録しておきましよう。

「国民軍は恐れというよりも苛立ちから,猛然と襲いかかった.このとき,ひとりの女性がバリケードのてっぺんに姿を現した.若くて美しく,髪をふり乱して恐ろしい形相をしていた.娼婦であったこの女性はドレスを腰までまくりあげて,国民軍に向かって売春宿の醜悪な言葉使いで叫んだ.これは次のように翻訳しておかねばなるまい.「卑怯者めが,女の腹めがけて撃てるものなら撃ってみろ!」.ここで,事態は恐るべきものとなる.国民軍は躊躇しない.国民軍の部隊から発砲された弾でこの哀れな女は裏返しになり,大きな叫び声をあげながら倒れる.すると突然もうひとりの女が姿を現す.この女はさっきの女よりも若くさらに美しかった.それは17歳にも満たないだろう子供のようだった.なんという哀れ!彼女もまた娼婦だった.彼女はドレスを引き上げ,腹を見せながら,こう叫んだ.「悪党ども,撃つなら撃て!」.さっきと同じように銃声が響いた.銃弾で穴のあいた彼女のからだが,さきほどの女のからだの上に崩れ落ちた.こうしてこの戦争は始まった.」

パリジェンヌのパリ20区散歩 (河出文庫)

パリジェンヌのパリ20区散歩 (河出文庫)

  • 作者: ドラ・トーザン
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/06/05
  • メディア: 文庫

ドラ・トーザン『パリジェンヌのパリ20区散歩』でも、この歴史の歩みを、さりげなく記していました。

「・・・区とは、やや恣意的で、しかも比較的歴史の浅いわけ方です。実際、昔のパリは、いくつもの村で構成されていました。その後、オスマン男爵が-多くのパリ市民の批判浴びつつ-パリの表情を一変させました。彼はパリを横切るアヴェニューやブルヴァールと呼ばれる大通りを建設し、現代のパリの基盤を作りました。革命派のバリケードに対して、警察や砲兵隊の行動をスムーズにするため、昔からある狭い通りは壊され、大きな幹線道路が作られました。・・・パリの新しい境界線が描き直されました。そして1860年、パリは20の区に分けられ、ついにオスマン男爵の一大事業は完成を遂げたのでした。」(P16-17)

このオスマン男爵のパリ大改造について、デヴィット・ハーヴェイも『反乱する都市』で記述(P31)してました。

反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造

反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造

  • 作者: デヴィッド・ハーヴェイ
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2013/02/05
  • メディア: 単行本

(ハーヴェイには『パリ-モダニティの都市』もありますが、私は読んでいません。)

第三部は、雑踏のパリ。
 ここで、ボードレールや印象派の絵画やアジェ(Jean-Eugene Atget)の写真などが、取り上げられています。


 文学、絵画、写真が取り上げられる割に、音楽がないように感じました。
大革命期の「マルセイエーズ」もあっただろうし、

革命期のフランス・オルガン音楽

革命期のフランス・オルガン音楽

  • アーティスト: イゾワール(アンドレ),モワロー,ラスー,シャルパンティエ,コレット,ルジェ=ド=リール,バルバトル,カルビエール,セジャン,ダカン
  • 出版社/メーカー: キング・インターナショナル
  • 発売日: 1995/04/21
  • メディア: CD

街角では、シャンソンの歌声もあったのでは・・・と思いました。


江藤淳『考えるよろこび』について [本]

 江藤淳については、ヘレーン・ハンフ編著『チャリング・クロス街84番地』の訳者、それからアントレ・ゴルツの死を知ったとき、日本でも江藤淳が妻を亡くして追うように自殺した、という程度しか私は知らなかった。ウィキペディアで調べると、皇室に嫁いだ雅子さんの実家小和田家と親戚関係(ウィキペディア)になるようです。

考えるよろこび (講談社文芸文庫)

考えるよろこび (講談社文芸文庫)

  • 作者: 江藤 淳
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/10/11
  • メディア: 文庫

この本は講演集(1968頃)です。
「考えるよろこび」、「転換期の指導者像-勝海舟について」「二つのナショナリズム-国家理性と民族感情」と読み進めていくと、タイトルとだいぶ違う印象を受けました。演題「考えるよろこび」で、江藤淳が語ったこと、というのが正しいのかな。
 初め、「・・・考えるという人間の行為にはいろいろな方向がある。」として、自然の分析・実証、法則、因果律や必然性という方向がある。しかし、「・・・自分についての発見ということが、ものを考えるということの出発点でもあり、ゴールでもあるのではないか・・・」(P11)と説き起こします。この江藤の考え方は、F・M・コンフォード『ソクラテス以前以後』に共通のものです。

ソクラテス以前以後 (岩波文庫)

ソクラテス以前以後 (岩波文庫)

  • 作者: F.M.コーンフォード
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/12/18
  • メディア: 文庫

「プラトンはある対話編において、ソクラテスが成し遂げた思想革命、つまりどのようにしてソクラテスは外的自然の研究から、人間の研究および社会における人間行為の諸目的の研究へと哲学を転回させたかをソクラテスその人に述懐させている。」(P12)
「この早い時期の自然学においては、・・・その事象がどのようにして生起したかということのより詳細な描像を提供する。しかしそれはなぜ生起したかをわれわれに教えはしない、とソクラテスは考えた。ソクラテスが求めていた種類の原因説明は「なぜ」という問いへの理由づけだった。」(P13)

 江藤淳は、さらに進めて、ソポクレス『オイディプウス』、ソクラテスの死、エドマンド・ロス上院議員(米合衆国)のエピソードを詳述します。その問題意識は、「転換期の指導者像-勝海舟について」でも同じように感じました。
 「・・・人間のあるべき姿、人間が自分の運命を勇敢に引きうけていけるような精神の気高さと悲惨さのなかの威厳・・・」(P28)を描き出しています。
 ここにあるものは、自分の信念が、引き受けるべき運命をもたらすものなら、覚悟の上で受け入れること、と主張しているように思います。社会的に読むと、<問題>を他者に委ね、あるいは転化し、そこから逃避することのないあり方。それがどんなに割に合わず、最悪自らの死が待ち受けようとも、自身が引き受ける度量を持つべきだ、と言っているようです。同時に、人間の生き方として考えると、宿命論(ソポクレス的悲劇、命ぜられるままに毒杯をあおるソクラテス)に逆らわず、それを全うすることが尊い、と言っているようです。

 ただし、そうした潔(いさぎよ)さは稀(まれ)だろう、と思う。また、そこには独善性の罠、落とし穴もひそんでいる気がしてならない。例えば、2・26事件の主力となった第一師団が、その後、どんな哀れな末路をたどったか?(岡田和裕『満州辺境紀行』P88 など)

満州辺境紀行―戦跡を訪ね歩くおもしろ見聞録 (光人社NF文庫)

満州辺境紀行―戦跡を訪ね歩くおもしろ見聞録 (光人社NF文庫)

  • 作者: 岡田 和裕
  • 出版社/メーカー: 潮書房光人社
  • 発売日: 2013/12/31
  • メディア: 文庫


 それと反対に、多分に打算的で、状況に身をゆだねて流される(生き残る)、そうはならない人々の存在がある。この人々によってのみオイディプウスの悲劇性も成立しうるし、ソクラテスの毒杯も為政者のためにではなく、そうした人々のためにこそ死を選び取ったはずだ、と思うのです。江藤淳の説は、もし、客観的記述を許されるなら、人身御供、スケープゴート、人柱への宿命へ、話者としての悲劇的な“本人の語り”という説話の構造にもなっている。そんな違和感がずっと残るものでした。
 問題はやはり、このそうはならない人々と折り合いをどうつけるかでしょう。さもないと、人身御供と等価で置き換えられて英雄主義に転化した場合、江藤の言う「悲惨さのなかの尊厳」とは、ただ膨大な悲惨を生むのでは?という疑問が残ってしまいました。


スカルラッティのソナタ [音楽]

久しぶりに音楽の話題を取り上げましょう。

 バッハやヘンデル、あのF・クープランやラモーと同じ時代に、1685年にナポリに生まれ、1757年マドリードに没している。
 ドメニコ・スカルラッティといえば、何といっても“マリア・マグダレーナ・バルバラ王女のための555曲の練習曲(ソナタ)”という作品でしょう。といっても、私も全曲を聞いているわけではありません。何しろCDで34枚というもので、いまだに買おうか迷い続けています。通して何回聞く機会があるだろうか?自分に問いかけてしまいます。ソナタ全曲集をお持ちの方は、いますか?
 それでも、スカルラッティのソナタ集は、ホロヴィッツ、チッコリーニ、ポゴレリチ、スコット・ロス、ケフェレック、そして、スカルラッティの作品番号の名づけ親であるラルフ・カークパトリック演奏のCD、他NAXOS版など何枚か持って聞いてはいます。

 私がスカルラッティに関心を持ったのは、実はある映画の中で紹介されていたことがきっかけでした。

シシリアン [DVD]

シシリアン [DVD]

  • 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
  • メディア: DVD

以前、紹介したことのあるマイケル・チミノ監督「シシリアン(1987)」です。筋としては、1947年、シシリア島。農民に土地を分け与えるため立ち上がった若者ジュリアーノ(ランバート)は山賊等と手を組んで、搾取階級から金品を奪い続けた。マフィアのドン(アックランド)の支援を受けつつも、共産党寄りのその行動のせいで次第に追い詰められていく(allcinemaの紹介文)、というものです。
 地主であるボルサ公爵を拉致しようとジュリアーノの手下が、公爵邸を襲うシーンがあります。そのやり取り中、公爵の部屋の蓄音機のレコードから音楽が流れ、興奮気味のジュリアーノの手下が、音楽を耳にして落ち着きを取り戻していきます。

(ジュリアーノの手下)「いい音楽だ」
(ボルサ公爵)「そうだろう スカルラッティだ」「島出身だよ 彼もぜん息を患っていた」                   
        「外は雨かな?」
(ジュリアーノの手下)「いいえ」

というセリフがあります。
 この島とは、シシリア島のことなのですが、ドメニコ・スカルラッティはナポリ生まれです。このセリフは間違いなのか、というと、あのケフェレックのピアノ・ソナタ集

スカルラッティ:ピアノ・ソナタ集[13曲](再プレス)

スカルラッティ:ピアノ・ソナタ集[13曲](再プレス)

  • アーティスト: ケフェレック(アンヌ),スカルラッティ,なし
  • 出版社/メーカー: WARNER MUSIC JAPAN(WP)(M)
  • 発売日: 2008/01/31
  • メディア: CD

のCDライナー・ノートに「シチリア島の出であるが、何代も前からナポリに住みついていたスカルラッティ一族・・・」という紹介があります。
確かに映画の中のレコード盤から流れるピアノ演奏のソナタも、美しい。しかし、残念なことに、これがソナタの何番の曲か、私にはわかりません。

 私が聞いた中で、一番気に入ってる曲は、ソナタト短調 K.8(L.488)です。

  ほとんどが明快で明るい曲のなか、ちょっと独特な印象、静寂や葬送のイメージも感じられます。


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スーザン・ソンタグ『こころは体につられて 日記とノート1964-1980 上』 [本]

 日記の第一巻『私は生まれなおしている』に続き、第二巻(の上)ということです。
ソンタグ31歳~47歳の日記、既に小説や『反解釈』などを出版もしているせいか、メモかな、という印象です。

こころは体につられて 上: 日記とノート1964-1980

こころは体につられて 上: 日記とノート1964-1980

  • 作者: スーザン・ソンタグ
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/12/25
  • メディア: 単行本


私が、気になった言葉を記しておきましょう。

自分から世界を批判する判決を出せないなら、自分自身を批判する判決を下すべきだ。(P73)

ニーチェ:「事実というものは存在しない。存在するのは解釈のみである。」(P94)

「人間は真理を体現することはできても、それを知ることはできない。」W・B・イェイツ(最後の手紙)1939年死去(P125)

ノヴァーリス・・・新たな芸術は書物の総体ではなく断片だ、看破した。断片術-意思疎通の阻害ではなく意思疎通を絶対的なものにするための断片的な言語の必要性(P195)

「独りっきりで本を書く人間なんていないよな。本はすべて共同作業の賜物さ」。(P200)

エヴァが指摘したとおりだ。「カント」から「D・H・ロレンス夫人」への大転換がなかったら、フィクションの執筆など私にけっしてできなかっただろう。(P361)

ここあるのD・H・ロレンス夫人とは、フィクションとしての作品『チャタレイ夫人の恋人』を差しているのか、ノンフィクションとしての、ロレンスが駆け落ちをした人妻フリーダ・フォン・リヒトホーフェンのことだろうか?この「カント」から・・・という一行から、CMでもお馴染みの、与謝野晶子の《柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君》という短歌が思い出される。ソンタグが日記で性の問題を書き記している悩みからも、それはノンフィクションだろう。

無音と還元について、ケージ+ソローの考え(P367)

ケージはジョン・ケージのことだろうし、ソローはヘンリー・ディヴィット・ソローのことだというが、さて、この小さな短文から何が構想・展開されようとしているのか?

1920年代はロシアの近代芸術で最も素晴らしい時代だったけれど、彼らは先を行きすぎた+孤高すぎた。(P369)

として、エイゼンシュタインやマヤコフスキーに触れていました。

・・・(ベルナルド)ベルトルッチの映画『革命前夜』の提言(モットー)-「革命の前の時代に生きていなかったものは、人生の甘美を一度も味わっていない」・・・(P373)

1968年ベトナム(戦争下)ハノイでの文章らしいが・・・後藤篤志著『亡命者 白鳥警部射殺事件の闇』を読んだから言うわけではないがないが、甘美といえるものかどうか、保留をしておこう。

亡命者: 白鳥警部射殺事件の闇 (単行本)

亡命者: 白鳥警部射殺事件の闇 (単行本)

  • 作者: 後藤 篤志
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/09/09
  • メディア: 単行本

革命のための言語が革命を裏切る。(P380)

の方が、正しいかも。


身辺の近況ことなどと、昔の一冊 [本]

明けましておめでとうございます。


 一昨年、(終の棲家にすべく)転居したものの、仕事も続くことになり、通勤のために時間を費やす結果となりました。
 転居で本を運び、荷解きをしました。読んだ本もありますが、読みきれず積読のままの本も、整理ダンボールから戻されてあふれかえっています。捨てなければならないことは判っているのですが、青春時代の思い出も詰まっていて、簡単に捨てられない。いつかそうしようと思うが、今ではないかなぁ。
 ブログの更新もままならなくなっています。読む量はさほど変わっていませんが。といって読むものすべてが、いい本でもなかったりするわけですし、勉強のつもりで読んでいる難解なものまで紹介するわけにも行きません。まあ、“気まぐれ”と銘打って始めたものですから、気長にお付き合いください。

暗号 (現代教養文庫 (1134))

暗号 (現代教養文庫 (1134))

  • 作者: 長田 順行
  • 出版社/メーカー: 社会思想社
  • 発売日: 1985/02
  • メディア: 文庫

暗号2.jpg ずっと以前買ったまま整理ダンボールにしまわれた一冊から、久々に日の目をみた記念に、一冊紹介しておきましょう。
 社会思想社の教養文庫(1985年刊-もう28年経ったのか・・・)に、長田順行著『暗号』という文庫があります。

 ウエルズは、その『世界史』に、「文字は、それが発明されたとき、初めのうちは関係の人だけの秘密通信に使われていた」と書いている。(中略)・・・われわれは漢字、平仮名、片仮名、ローマ字を知っているが、これ以外の記号で書かれたものを読むことはむずかしい。

(左のスキャン画像が、本文に掲載された暗号)

 これは、平田篤胤(あつたね)(一七七六-一八四三)の「神字日文伝(かみのひふみでん)」に出てくる神代文字で、“このみちより われをいかすみちなし このみちをあるく”というよく知られた文章なのである。(P142)

 しかし、韓流で韓国語を学ばれる方が少なくない昨近、デフォルメされた韓国文字(筆順の問題なのか、中にあるべきものが下に行ったり、下にあるべきものが右に置かれたり、字がデフォルメされているが、9割は韓国文字と言える)を、音読みで日本語を表記したものに過ぎないことは、ご覧の通り明白です。 

韓国語2.jpg

 暗号とか、神代文字という神秘化される代物ではない。暗号解読というより、平田篤胤と朝鮮の関係がより解き明かされるべきかもしれません。 こんな文庫まである、という近況のお話でした。
 今年は、出るだけブログも更新できる年にしたいものです。
 皆様も良いお年をお迎えください。


小笠原豊樹『マヤコフスキー事件』の「運命」について [本]

少し変わった構成の本でした。
マヤコフスキー事件

マヤコフスキー事件

  • 作者: 小笠原 豊樹
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/11/19
  • メディア: 単行本
 映画でいう初めのつかみのように、まず、1930年4月14日に事件が起こります。それから、ミステリーのように事件の因果関係を暴いていきます。
 マヤコフスキーの最期に一緒だった、「ポロンスカヤの回想記」1938年の60ページが挿入されている。
最後にも「年譜風の略伝」が60ページほど付いていて、320ページほどの本の三分の一が資料という体裁なのだけれど、文章の展開は、ミステリー仕立てで、証言を集めて語る展開になっています。
 ロシアの未来派の詩人の死というより、ありがちな「マヤコフスキーと女たち」とした方が、しっくりしたかもしれません。

1930年1月21日にマヤコフスキーの「運命」が決まった(P152)、というこの事件の話を紹介しています。

 自殺か、そうではないのか、真相に迫る証拠を積み上げています。
詩人マヤコフスキーだけでなく、その周辺での無残なおびただしい死を知ることなる。
演劇家メイエルホリドとジナイーダ・ライヒ夫人の恐ろしい死にまつわるショスターコヴィチの証言。
粛清の嵐。政治的な意味づけや、社会的な打撃ということから、この事件を読むことは出来るのですが、読みながら、もっと違った感触を覚えました。

 早咲きの恵まれた才能を、賞賛と名声がその頂点にまで押し上げる。
この状況に立ち現れる意志を持った“女たち”の何がしか、そして最期を記し、記憶することも必要です。

 しかし、恵まれた才能を発揮すること、または、類まれな能力であることを証明するために発露される力能とは何か?
類まれな能力とは、自身が明かす(群集に依存しない)自明のことなのか、
それとも、賞賛で群集が讃えること(群集への依存によってしか発見されない)なのか、その《由来》は何か?
 あらゆる一つ一つのものごとが、唯一無二の固有のものであるなら、それ自体が均質性(民主主義)を持ちながら、他と区別されて際立たされることが、既に政治である、というほかない。となれば、名声とは、政治力の賜物であり、造形物であり、道具となるほかない。高揚と失墜の“放物線”を描くものだ。
高揚期、言い寄ることも、言い寄られることも、その時を生きている自身にはどんなコントロールが出来ただろう。
失墜期、何が起こっているのか、どこへ押し流されるか、自分の才能とは?、と自らに問いかけたことだろう。かんしゃくを起こして「自分は何者か」を問いかけもしただろう。

1930年1月21日にマヤコフスキーの「運命」が決まった。

36歳、ロシアに彗星のごとく走り去った命。
世界を席巻する力は、「運命」によって滅ぼされるのか?逆に、彼はその「運命」を変えることも出来たのか?
いや、運命の方が、社会の中に「マヤコフスキー」を産み、死を与えたののだろうか?


高橋 小太郎 和彦『ロックンロール革命 アイルランドの風に吹かれて』 [本]

 今年8月頃の新聞の小さな記事で気にかけていた本でした。本を手にしてから購入しようと思っていたのですが、現物にお目にかかれず。ようやく手することが出来ました。
 内容はアイルランドなんだろうけど、どうして「ロックンロール革命」というタイトルなのか、また、著者の方のお名前も、高橋 小太郎 和彦 と変な感じがして、正直、ガックリかもという警戒心を持っていました。読めば普通でした。

ロックンロール革命 アイルランドの風に吹かれて

ロックンロール革命 アイルランドの風に吹かれて

  • 作者: 高橋 小太郎 和彦
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2013/08/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

目次 「ロックンロール」革命 / イカロスの夢 / 克服する人生

まず、序文ともとれる「ロックンロール」革命で、大島豊の引用から、この本のタイトルを選んだ理由が、理解できました。
同時に、「克服する人生」のなかの、イェイツとジェームス・ジョイスのアイルランドに対するスタンスの違いを際立たせる意味にもなっています。この本文というべき部分は、卒論チックな、寝かせ暖めてあった文章のような気がしてならないが・・・。
ジョイス「ダブリナリーズ」からザ・デット 肉体的、社会的、精神的な死についてジョイスについて説き起こされる。歴史、神話、政治と芸術、イプセンとオブローモフ主義・・・と展開していきます。最後は、著者の祖父の闘病時の回想。
そこで、ザ・デット、ロックンロール、もしかすると、小太郎 和彦の名の由来も同根なのかもしれないが、一つの調和・ハーモニーになって閉じられる150ページほどの本。

余韻に駆られ、しばらく読めないでいた『二つのケルト』も続けざまに読んでしまいました。
しかし、ジョイスの「評論集」や、『炎の美女革命家 モード・ゴン』もまだ読めないでいる。反省ですね。


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梅津時比古『神が書いた曲 音楽のクリティカル・エッセイ』 [本]

 梅津氏の本は、『フェルメールの楽器』に続き二冊目です。本は読んでいるほうですが、この方のような文章表現は、まず、お目にかかれること少ない。毎度、感心する。テーマに関連して、引き寄せてくる話題の豊かさ、言葉の詩的な、箴言的な教訓化が素晴らしい。なぜなのか、多分、出来事の<意味>というような、関係する“重さ”として、語ってはいないからだろうと思う。攻め寄せてのしかかってくるのではなく、文章に触れることで、共鳴したり気持ちが起伏するのがわかる。

 主題によって呼び覚まされた小さな振動が、忘れ去られることなく注目され、あるいは主題を引き立てる、多声的なハーモニーであったりして、豊かで多様性を持ち、高揚感を感じたり、読み進めるごとに通低音のように感情が抑揚する。この方の文章は、文字が楽譜なのではないか、と思えるほどに余韻がある。
 私にもこんな文章がかけたら、と羨ましい気持ちになる。

神が書いた曲

神が書いた曲

  • 作者: 梅津 時比古
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2013/06/28
  • メディア: 単行本

「神が書いた曲」というタイトルは、音楽によってこの世界や他者とつながることができるという認識を背景に置いている。(245)

ということですが、なかのエッセイの一篇タイトルからとっています。

「中世以来、自然は神の書物とする考え方がある。いかに自然が美しく奇跡的であろうとも、自然自体が神なのではなく、それを書いた超越的なものがさらにその奥に存在するとみる思考である。世界は神が書いた曲であるとルプーが考えているように聞こえた。」(30)

ピアニスト、ラドゥー・ルプーの奏でる音を、こう梅津氏は表現している。
 先だって、読んだハンス・ブルーメンベルグの『世界の読解可能性』

世界の読解可能性 (叢書・ウニベルシタス)

世界の読解可能性 (叢書・ウニベルシタス)

  • 作者: ハンス ブルーメンベルク
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 単行本

が、この問題を真正面から取り上げ論じていました。まさに自然の書物と啓示の書物、「神の二つの書物は一致する」というのを、カンパネラのテーゼ(77)というらしい。難解だが、興味ある方は読まれたし。

 チェコにあったナチのテレジエンシュタット強制収容所にいた作曲家たちの足跡(86-88)。「戦時中にナチに協力したと非難され、コンサートで罵声を浴びせかけられることもあった」ピアニスト、アルフレッド・コルトーが、静けさを求めていたこと(92-94)。

 シューマンの歌曲「異郷にて」がアイヒェンドルフの詩による、と紹介している。

<かなたふるさとのほうに赤い稲妻が光り/そこから雲が流れてくる/でも父も母ももうとうに死んでしまった/もうあそこでは誰も僕を知らない>(140-141)

ディアスポラの情感を、こうもうたえるものなのか。

 「夢は眠っているときに忍び込んでくるもうひとつの生なのかもしれない。それが、目覚めているときに渇望していることの反映なのか、抑圧されたことの漏出なのかは知らないけれど。」
 「なぜここでは悲しい感情が解決されないのだろうか。解決するためには誰かが必要なのかもしれない。その誰かが自分を含めて不在なのだろう。弦が不意に高まってゆくのは、探しても探しても、誰もいないからだろう。・・・その響きを聴いているうちに、人は夢の中で誰かからの声を待っているのかもしれない、と思えてきた。」(156-157)

 ハイネの詩によるシューベルトの「ドッペルゲンガー」とは、他人の空似というより、どうやらドイツ(ヘーゲルやフロイトたち)にある<自意識>の“発見”と関係しているように、私には読めるが、どうだろう。(158-159)

 クセナキスの音楽劇「オレステイア」で、

 「言葉が明瞭に意味を伝え始めると、空中の字は対訳から離れて意味不明の言語の断片となる。これも卓抜な仕掛けだろう。言語が言語として機能し始めるとき、存在の固有の体験は伝達されなくなるということである。誰にも理解されないはずの「孤独」が、「孤独」という言葉よって簡単に伝わるならば、それは「孤独」ではない。」(174-176)
 「初期ギリシャの哲学者、ヘラクレイトスの言葉「同じ河にわれわれは入っていくのでもあり、入って行かないのでもある」(山本光雄訳)という存在への考察を思い出さずにいられなかった。」

そうなんだ。ヘラクレイトスは「同じ河に入れない」と言ったのではなかった!行動の一意性で存在の両義性が失われるのではない。

 シューベルトの歌曲集「水車小屋の美しい娘」の歌に、梅津氏は、ミューラーの詩に、人里離れた、水車の粉引き徒弟制度の若者に、職業差別と被差別から脱出したい娘の願望を読む。

「なによりも「君が好き」という単純な気持ちが・・・その感情がまっすぐだからこそ、差別の悲しみが増す。」(179-181)

 中国出身で今はパリに住む女性ピアニスト、シュ・シャオメイが弾いた「ゴルトベルク変奏曲」。ピアノの才能で将来を嘱望されながら、文化革命によって、自らの裕福な生まれの発覚を恐れながら、同時にその出自を恥じた。僻地への移住と労働体験としての「下放」に従い、知的なもの一切が取り上げられた。数年後、こっそり弾いたのがバッハだという。そして、文化大革命によって家族が離散し、死に目にもあえなかったという。

 「第30変奏でバッハは民衆の歌を取り上げている。そこでのシャオメイの音は素直に響き、民衆におもねることもなければ、批判もしない。その眼差しは、誰をも恨まず、受け入れるということなのだろうか。」(182-184)

 宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」に登場する“かっこう”。

 「かっこうはヨーロッパで中世から、はずれ者、愚か者の象徴であった。体制に乗らない者こそ、見通す目を持てるという思想が背景にある。だからこそ宮沢賢治は、近代合理主義によって失われた純正な響きを求める者として、かっこうを登場させたのであろう。」(185-187)

 ブロンズとチッコリーニによるベートーヴェンのピアノソナタ。

 「カントが畏敬すべきものとしてあげた「我が上なる星空と、我が内なる道徳律」の言葉を思い出した。チッコリーニの場合、「道徳律」を「我が内なる悲しみ」と置き換えてもいいかもしれない。・・・人間は完全なものではない、という想念が繰り返し訪れてきた。完全でないからこそ、本質に向かう道を捜し求める。」(192-194)

梅津さん、慈愛の文章をありがとう。


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